2013年12月29日 更新 二七 綿菓子 何も無い空間に箸を一本入れて回せば、どんどん雲が沸き上って、やがて入道雲のようになっていき、それを箸にからめて形にしていく。それは手品より不思議だった。当時の大道芸だった手品師は、近年テレビに登場する卓越した手品師(マジシャン)のように、種があっても、あたかも魔術や魔法のように、無から有を出すと錯覚させるような技は無かったから、子供心にもどこか胡散臭く、種をかくすような怪しげな動作があった。だが、これは違った。透明のセルロイドの中で、微かなピンク色に色づいた夜明け前の雲が湧き出るようになり、回されている箸にまとわりついて、赤子の頭ぐらいの大きさになる。 「はい、坊や」 おじさんが箸の部分を持たせてくれて、私は握りしめていた小銭を渡す。そしてすぐにかぶりつかない。そのふんわりとした塊の中に何か仕掛けがあるかもしれないと思うからだ。形があるようで柔らかく、しかも舌にまとわりついて甘い。まさに奇跡の食べ物で、不思議の美味しさだった。棒倒しの周りの砂を少しずつ慎重に取って行くように、箸から遠い部分から食べていく。箸がぐるぐる回って作ってくれた反対に口をグルグル回しながら形を食べていく、それが綿菓子の正しい食べ方だと思っていた。 私を見かけた悪がきが走って近づいてきて、一部をむしり取って逃げる。形が歪(いびつ)になる。「食べたいって言ってくれれば、僕の後を同じように口を回して食べさせるのに」と思うのも後の祭りで、むしり取られた部分が、怪我をしてうっすらと血を滲ませるように赤を濃くしている。それでも思い直して、再び丸く形を整えながら箸まで食べてしまう。箸は、まとわりついた雲を剥された痛みでか、むしり取られた部分のように赤く色づいている。その箸をしゃぶりつくし、奇跡の食べ物の不思議を食べ尽くす。 綿菓子は、子供の夢を紡いでくれて、感覚をくすぐる甘さが嬉しく、食べ終わった後の割り箸でさえ捨てるのがもったいないような気持ちになる。それは奇跡の核だからなのだろう。ねばねばのままポケットの入れることも出来ず、手に持っていてもべとべとくっつくことになり、仕方なく綿菓子の屋台の前に置かれた箸を捨てる箱に入れる。あの箸は洗って使うに違いない、そう思った。それは香具師のみみっちさでなく、奇跡の棒だからだ。