2013年12月27日 更新 二五 ターザンごっこ まず場所は、森の中にある木が生えていない小さな広場である。そしてくくりつける高い木の枝と、空中に飛び出す地面から数メートルの位置にも枝があることが条件である。もちろんそんな場所は多くないから、それを見つけると、子供から子供に伝えられた、子供たちの大事な場所になる。木登りの得意な年長の人が木に登って、蔦やロープをくくりつけてくれた。そしてその広場の隅の一か所には、代々の子供がせっせと枯葉を運び込んでいたから、そこはいつも厚い布団を重ねたようにふわふわだった。 そして、枯葉を積み上げた反対側の大きな木に登り、立ち上がったところに、誰かが広場の真ん中に垂れ下がった蔓(つた)を引っ張って、木の上の子に握らせる。そしてその子は、足で枝を勢いをつけて蹴って、蔓で空間を渡る。できれば声を出す事が求められた。「あーあぁー」と言う叫びである。 「ターザン」ごっこである。「ターザンの綱渡り」である。「ターザン」と言っても、一九三二年に作られ始めたジョニー・ワイズミュラー主演の映画で知ったのではない。その筋骨隆々の肉体と運動神経抜群の俊敏な動きが、オリンピックの水泳の金メダリストだからとも知らなかった。映画は後年に見たが、それまでは紙芝居で見たターザンであった。その日本人にはない肉体と、どんな動物とも友達であり、悪者をやっつけるターザンは、子供たちの理想の全てを具現しているような子供たちの憧れで、できる限り真似をした。その中でも最も頻繁に行っていたのが、木から木へ自由に飛び渡ることだった。もちろん子供のことだから、木から木へ自由に飛び渡ったりはできない。お兄さんが上に縛り付けてくれた藤蔓(ふじづる)や縄を握りしめて、地面から少し離れた場所に立って、枝を蹴って、一回きりの飛翔をするだけだった。 しかし、蔦や縄を握りしめた時の興奮と緊張は今でも鮮やかに思い出す。子供には千尋の谷底の一方の崖に立っているような緊張感があり、大袈裟に言えば命がけの決行を意味した。怖がって縮こまってしまったり、脚の震えを見つけられたりする前に、一気に飛ぶ。「あーあぁー」と高く長く叫ぶのだが、そんな余裕は何度もやって、何度も成功して枯葉の上にうまく着地できるようになってからだ。途中で手を放そうものなら、地面にずどんと落ちて相当痛い目にあう。だから誰もが必死で握りしめて、手がどんなに痛くても枯葉の上まで我慢して飛ぶ。飛び終えると不思議に誰もが、あたりの枯葉をその上に摘む。落ちた時の気持ち良さもあって、それをさらに高めたい思いからなのだろうか、それとも次の飛翔者を思ってのことなのか、そして不思議に積み上がった真ん中あたりでなくて、出発点に近い側に置く。早くに手を放してしまった時の予防なのかもしれない。 順番に飛ぶ。恐怖など微塵も感じないで、束の間の飛翔を楽しめるようになると、こんな面白い遊びはなかった。動く物を作ることに匹敵する遊びは体を道具にする遊びだった。体を道具にすると言っても、かけっこや鬼ごっこなどより、高いところから水に飛び込んだり、ターザンごっこで木を渡ったりと言うような、ある種捨て身の遊びの方が面白く、綱を握る程度の力がある子は誰でも夢中になった。 だが、そんなターザンの綱渡りをぷっつりと止めてしまう事件が起こった。その日もいつものように、年長者が道具の点検のために最初に飛ぶ。彼には恐怖などなく、藤蔓が大丈夫かとか、落下点の枯葉が足りているか、と言ったような点検で、いつものように勢いよく枝を蹴った。その時である。着地点のギリギリに着いたとはいえ、どさっと鈍い音を発して落ちた。しかも、彼が着地点でみせる上手な着地では無く、何かにぶつかって落ちてしまうような無様な落ち方だった。そして確かに何かにぶつかった。 駆け寄る子供たちをみて、彼は青ざめた。どこか怪我でもしたのかと、誰もが心配そうに見つめる。そんな視線の頂点で、彼は上を指さした。誰もが指に従って上を見て、ターザンの叫びと違って、驚きと恐怖で「ああ」と叫んだ。叫ぶことさえできない子もいた。下から見上げて見えたのは、人間の靴であり、次にズボンであり、微かにその上に見える真っ青な顔だった。 子供たちがお兄さんを起こしてお兄さんを押しながら、一目散に逃げた。お兄さんは着地点の近くの木の枝にぶら下がって首つり自殺をしただろう人間にまともにぶつかったのだった。 そこからは一目散のかけっこで、早い子供が山裾の最も近い家の畑で見つけた大人に叫ぶ。 「おっちゃん、山で人が死んでいる」「おっちゃん、山で人が死んでいる」 最初の子供に追いついてきた子も同じことを言い、全員がその大人に向かって叫び続ける。子供たちの異様な雰囲気におじさんも何かとんでもないことが起ったと思って、仕事の手を休めて、子供たちの案内で山に登る。手を引かれ、後ろを押され、おじさんは、「わかった、わかった。行くから、そう押さないでくれ」などと言いながら現場に到着。その首つりを見て、おじさんは下から何かを判断した後、年長者を見つけて言った。 「ぼん、ええか、警察署がわかるね」 名指しされた子供は事態の恐怖もあって直立不動で「はい」と返事をした。 「警察に行って、山で首つりしているから、山の下の西松のおっさんが来てくれ、と言っている、と言ってきてくれ」 おじさんの言葉尻は、もう後ろ向けに聞いて、全速力で走って行ってしまった。残された子供は、山を下りるおじさんの後ろをぞろぞろとついていくしかなかった。そしておじさんが自分の家の納屋に入り、梯子を取り出してきた。現場で高さを判断して、それに見合う梯子を決めていたようだった。子供たちはここぞとばかりに梯子を持つことを提案した。おじさんは、今度はロープの束を取り出した。今度は梯子運びにあぶれた子が運ぶことを申し出て、渡され、みんながおじさんの後ろに従った。 「気いつけや」 「はい」 一斉に大声で返事をした。自分たちもこのとんでもない事件に関わっていることが興奮させていたからだ。間もなく現場に着くと、おじさんは「ちょっとみんな離れてくれるか」と言って、子供を広場の隅に行かせ、ロープの先端を団子状に丸めて投げ上げた。三度ほどやったが、どうもうまくいかなかったようで、「あかん」と一言言うと、梯子をその木に立てかけて登った。そこから首つりをしている枝の上で、さらに太い枝にロープを回して降りてきた。地面に垂れている一本のロープを何度か弛(たる)ませながら、首つり自殺者のそばに近づけた。そしてもう一本のロープも同じ作業をして、二本のロープを枝にかけた。そして二本のロープを梯子の先端にしっかりと括(くく)り、「よっしゃ。できた」とおじさんは自分で自分に言い聞かせるようにしてから、ロープを引っ張った。しかし、おじさんひとりでは梯子は少し頭を持ち上げただけで、それ以上、立とうとしなかった。 「みんな引っ張ってくれるか」 そう言われるのを誰もが待ち望んだ。見学だけでは納得がいかなかったからで、事態の進展に自分たちも参加してたかったからだ。そしておじさんの指示でゆっくりゆっくり引っ張ると梯子は立ち上って自殺をした枝に立てかけた。おじさんがその上の太い枝にロープをかけたのは、死体とそれを降ろす人の重みで枝が折れないようにするためで、おじさんはそれを子供たちに説明して、警察官の登場を待った。 「こっちです、こっちです」 声がすると、汗をかきかき走っている子が現れ、後ろから何人もの警察官が現れた。子供の頃にも町の警察署は大きかった。国道に沿って建てられていたが、坂田郡と言う広い範囲を管轄していたこともあって多数の警察官がいた。もちろんそんな組織的なことを知らなかったから、子供心にも、まるで事件など起らない町には大きすぎるとさえ思っていた。もちろん、警察署も子供にとってはヒーローの集まる場所だったから、大きな警察署は子供には自慢でもあった。そこから六人もの警察官がやってきた。一番後ろの人が担架を持っていた。 「あぁ、西松さん。えらいすんまへん」 「まぁ、これは署長自らお出ましですか」 「いや、この子が息せき切って走り込んできたのを、たまたま署員と話していて見たんで、これは私も出動しないと、そう思いまして。それにしましても、もう準備していただいたんですね、ありがとうございます。そうそうみんなもありがとうね。知らせてくれてありがとう」 署長さんが子供たちを見渡してそう言った。全員がぺこりと頭を下げただけだったが、返事に困ったというより、憧れの警察署、しかもそこの一番偉い人にお礼を言われるというあまりに名誉なことに、全身が沸騰していて、言葉など出なかったからだ。フラッシュがたかれて写真が撮られたが、フラッシュの閃光が子供たちを一層興奮させた。 「上がってくれるか」 署長さんの命令で、署員のひとりが前に出て敬礼をして、西松のおじさんと子供たちにも敬礼して梯子を上った。梯子には上らなかったが、敬礼をしてもらって、天にも昇る気持ちだった。白い手袋が梯子を駆け上がり、ぶら下がっている人間の傍にまで上がった。 「男性、年齢三〇歳から五〇歳、脈はありません。死亡が確認できます。冷たくなってはいますが、昨日は無かったと子供が報告していますから、死後数時間。ご遺体確認、昭和二五年九月一一日一四時三八分」 たぶん、今から想像するとそんなことを言ったはずだ。ただ、叫びながらの報告に、下でもう一人の署員がメモを取り、最後に署長さんが「了解。ただちに死体を降ろす」と言うと、警察署から持ってきたロープを持った人と、滑車のような物を持った人が、確認した人と後退して梯子を上り、遺体にロープをかけて、滑車に回して、下にロープを投げた。下でそれを三人の警察官が持ち、「準備完了」と言った。 「遺体を降ろします」 その掛け声で、首を吊っていた紐が切断され、遺体は一旦ぐらりと揺れて、そのまま三人の警察官の絶妙な力で降ろされ、地面に三〇センチあたりに足が降りてくると、署長が、「一旦停止。担架を下へ」 そう言うと担架が足の下に置かれた。 「ゆっくりゆっくり降ろせ」 そしてもう一人が遺体と担架の向きを合わせながら、そのままうまく担架に乗せた。一旦覗き込もうと寄って来た子供は、すぐさまさがった。その死者の醜い顔が信じがたかったからだ。どの子供も死を恐怖した。そして死がこんなにも汚いものだと思った。 すぐさま滑車が外され、西松のおじさんのロープと梯子も外された。 その作業中に署長さんはあたりを見回した。西松のおじさんが思い出したように慌てて署長さんに指差して言った。 「署長はん、あの木の枝に鞄と靴が括ってあります。現場保存で残しておきました」 「それはそれはありがたいことです」 署長はそう言うと部下に指示をして、写真を撮影後、その鞄と靴を降ろした。 「遺書も入っているようですから、覚悟の自殺でしょうが、ロープを枝にかけるのは苦労したでしょうね。何度も放り投げたんでしょうが、その失敗の間に思い直してくれれば良かったんですがね。それでも決行したのですから、よほど辛いことがあったのでしょうね」 「そうです。あの枝まで登ってから、首にロープを巻きつけて、ターザンみたいに『エイっ』て飛んだのですね」 「あぁ、勇気のいることです。そんな勇気を他に発揮すればよかったのですが、残念なことです」、 「可哀想なことです」 「終わったか。では撤収し、下山」 そう部下に命令すると、署長さんはこちらに向き直った。 「西松さん、ほんまに助かりました。死体処理の梯子とロープですから、廃棄処分にしていただけますか。そして新しい物を買っていただいて、その領収書をください。お支払いいたします」 「いやいや、いいです。このご遺体のために何かをしてあげたと思えば、むしろありがたい気持ちになります」 「そうですか。さすが西松さんです。私、感服いたしました」 署長さんが確かそんなことを言って、西松さんに敬礼した。西松のおじさんは、とんでもないと手を必死で振っていた。署長さんは敬礼の後で深々と礼をして、現場を離れようとして、現場に残されている子供たちを振り返った。そして子供たちを両手で集めた。憧れの警察の署長さんに寄るように言われて、子供たちは緊張して集まった。 「知らせてくれてありがとう。お手伝いいただいてありがとう。署長、こころからお礼を申し上げます。敬礼」 そう言うと、どの子の顔も見逃さないように、ゆっくりと頷(うなづ)きながらぐるりと見渡した。そこが自殺者の処理現場であることを忘れて、カーと体が燃えたことを覚えている。そのカーと燃えた記憶と、死者の顔の怖かったことと、こうして死ねば警察に迷惑がかかること、などを子供心に知った。ただ、死について考える時には、死と言うものが血の気を失せた幽霊のような怖い顔になり、ピクリとも動かないものだったことを思いだし、生と死の違いをまざまざと思いだす。コークス拾いで死んだ人などの死者は何度も見たが、遠目で筵をかぶせられていたりしたから、近親者以外の死体、しかも決して美しくない首つりの死体を間近に見たのは初めてだった。 「ターザンみたいに飛んだのですね」 その言葉がターザンごっこを止めさせてしまった。同じように「エイっ」と飛んであんなになるのは嫌だと思ったからだ。そして後年文学書などで「死」が美しいものだなどと書かれているのを読んで、「死が美しい」と言うのは嘘だと思った。それに「エイっ」と飛んでも、死に飛び込むのは勇気でも何でもないとも思うようになった。人間の意識ばかりを考えるようになって、自殺者は、死ぬことしか無いと思う意識だから、意識が先に死んでいるのだとも思うようになった。 「エイっ」と蹴って、自分で風を起こして飛び、枯葉に優しく抱きしめられ、枯葉の香ばしい匂いを嗅いで、飛び起き、笑顔で見ていてくれる仲間に笑顔で「やったー」と叫ぶターザンごっこの思い出は、死人の思い出を除けて掘り出さなければならなくなってしまった。ただ、あの枝を蹴る勇気、もちろん自殺者の勇気ではない勇気は、幾つになっても忘れないでおこうと思う。