2013年12月18日 更新 十七 羊一匹 「学校で羊を飼うんだって」 「はい、家庭科の実習のためや言うてました」 「鶏と一緒やで。大事にしたりや」 珍しく父が学校のことに口を出した。しかし、それっきりでその意味を言わなかった。それはいつものことで、自分で考えるためだった。今度も同じだった。「鶏と一緒」とは何か、それを考えなければならなかった。 羊と鶏が一緒とはどう考えてもわからなかった。形も違うし、食べ物も違う。片方は卵を取るためで、片方は羊毛のためで、一緒の部分がわからなかった。 一緒の部分がわからなかったので、仕方なく、裏の大きな鶏小屋に入った。商売に卵を使うこともあって、大きな鳥小屋に数十羽の鶏がいた。その中に入って、卵を集めながら、どこが羊と一緒なのかと考えた。そしてふと思い出した。生まれる以前から鶏を飼っていたが、ある時から餌係を命じられた。当時は、ふすまにはこべなどの草やキャベツなどの野菜、それに蜆(しじみ)の貝殻などを金槌で小さく割って粉にして混ぜていた。その餌作りを父親が一通りやって見せて教えた。そして最後に言った言葉があった。 父は、ふすまの袋や少し錆びた包丁や金槌など餌作りの道具を渡しながら、「ええか、鶏の世話をするということは、岩ちゃんややっちゃんがお前の身になって世話をしてくれているように、鶏の身になって世話をすることや。ええな」と言った。岩ちゃんとやっちゃんは、商売で多忙な母に代わって、何くれと子供の世話をしてくれている女性たちで、父は私たち子どもには、「岩ちゃんややっちゃんを悲しませるようなことをしたら、私が許さない」と言っていた。 そして私は、鶏の身になるために、鳥小屋に入って鶏になった気分を味わった。そして、狭くない鶏小屋だったが、外で自由に餌を食べたいと思った。そこで、家に出入りしている友達も呼んで、裏の空き地に柵を作って、鶏を放すような場を作った。出来上がった柵はお世辞にも良くできた物ではなかったが、それでも父は「そうか、平飼いをしてやるのか。偉いぞ、鶏は喜ぶだろう。そやけど、これでは危ないな。鼬や蛇にやられるから」 「交代で見張りをします」 「よっしゃ。鶏を外に出してやることに気付いたのは素晴らしい。交代で見張りをするという君らの考えは尊重するが、あとは大工さんに任せよう。君らの意見がきっかけだと言うことは忘れないでほしい」 そう父は言ったが、鼬(いたち)や蛇が入り込まないように、私たちの作った柵の外に、もう一重の頑丈な柵を巡らしてくれた。私たちも鼬や蛇をどう防ぐかは論議していた。網の破れから入ってきた鼬や蛇に殺されることを心配していた。それは交代で見張ろうと言う子供ながらの解決策になったが、それでは学校にも行けなくなるし、遊ぶ時間がなくなることには気づいていなかった。父は、その平飼いの場と鶏小屋を繋ぐ渡り廊下を金網を張ったトンネル状にしてつけてくれた。雨の時に小屋に帰るためだった。 「そうか、羊も鶏も一緒だというのは、羊の身になって、羊の気持ちになることなんや」 そう思いつくとすぐに学校に出かけた。日曜日で誰もいない校舎のはずれで、運動場に面した小さな小屋の中に羊はいた。小屋は家庭科の先生が作っただけあって、頑丈で立派なものだった。 「チェチェチェ」と口を鳴らして羊を呼んだ。 「おいで、おいで」とも言ってみた。そして名前が無いことに気付いて、名前を考えた。みんなに相談する必要があるかもしれないとも思ったが、家にとって返し、納屋で板を細長く切り、ペンキの缶を探し出すと、自分で「マイちゃん」と書いてしまった。舞うと言う「マイ」でなく、学校の名前の町の名前の「米原」の「マイ」で、何度か口に出すと、マイちゃんがぴったりだと思ったからだ。釘を数本ポケットに入れ、金槌を持って学校に戻り、マイちゃんの出入り口の上に打ちつけた。たちまち「マイちゃん」の名前で呼ばれるようになって、誰が書いたかは詮索されなかったが、それが少し寂しくはあった。 金槌で釘を打ちつける音に怯えて小屋の隅に小さくなっていた羊のそばに行った。まだ子供でブルブル震えていた。 「ごめんね。マイちゃん。そうそう今日からマイちゃんだよ。大丈夫だって、何も怖くないから。そう言って抱き上げた。まだ子供だと思っていたが、それでも当時の私が抱き上げられる最後だった。抱き上げて、そのまま藁の上に座り込んで、頭から背中まで全身を撫でてやるとマイちゃんも安心したのか、体の緊張を弛めた。 「ひとりで寂しいな。外に出たいね。遊びたいね。仲間が欲しいね」 そうマイちゃんに言うと、幾つかのことが必要だと気付いた。ひとつは誰もいなくても外に出られるように外に小さくても柵で囲んだ遊び場を作ってやること。ひとつに遊んでやること。ひとつに、とマイちゃんの身になってやってあげることを考えていたが、またひとつやるべきことを考えついた。 「マイちゃん、ごめん。すぐ戻ってくるから、ちょっと待っていて」 ゆっくりとマイちゃんを藁の上に乗せて、私は家に帰り、納屋にあったロープを貰った。一本ずつ束ねたロープが幾つかあったが、ひとつ減ることで何か支障があるといけないと思い、紙に「ロープを一本貰います。後で理由は言います。じごしょうにんでお願いします」 父にすぐに物事の許可を取れなくても、大事なことは事後承認と言うことも必要だと教えられていた。事後承認は、「じごしょうにん」としか書けなかったが、それでも無断で持ち出すことではない、そう勝手に決めて、やっちゃんの所に行った。 「それならロープでも良いけど、可愛そうに思うのやったら、この帯締め、古いけど丈夫だから、これでたすき掛けにしたらどう。まだ小さいのでしょう。それならこうして、こうして、ここで結ぶの。もし足らなかったら首に二重で巻いたらどう」 そう言うと帯締めをくれた。色あせてはいたが、帯締めが白に似合うように思えた。 「やっちゃん、ありがとう」 そういうと学校の羊小屋に取って返した。 「マイちゃん、マイちゃん、僕ですよ、大丈夫ですよ」 人の気配で小屋の隅に固まっていたマイちゃんが、緊張を弛めたのか、こちらを向いた。 「はい、マイちゃん。こちらに来て。そうそう、そして、これを前脚の間に回して、背中のここで結ぶ。はずれないようにしっかり結んで、ここにロープを結びつける」 私ややっちゃんに教えられたようにハーネス風にたすき掛けにしてロープを付けた。怖がっていたマイちゃんを抱き上げて、小屋の外に出した。運動場の周辺の草の所まで抱いていって降ろしてやった。そのまま体を私の体にくっつけて離れようとはしなかった。私は草の上に座り込んで、マイちゃんと同じ目線で、大丈夫だから、と撫で回した。マイちゃんはようやく安心したのか、そろりそろりと歩きだして、草を食んだ。 間もなくあっちこっちと歩き回り、走りさえした。これが結構速くて大変だったが、マイちゃんと遊ぶにはこれが一番で、校庭を走り回った。やがて夕方の餌の係りの友達が来ると、そのままロープを渡して帰った。一人でも多くの友達が出来れば、きっとマイちゃんも嬉しいだろうと、勝手に思ったからだ。それは羊の身になっているつもりだった。 夏休みの宿題のひとつとして、マイちゃんの冬場の草を大きなセメント袋一杯に持ってくることになり、そのための小屋を夏休み前の家庭科の時間に作ることになった。その時に、小屋の前に柵を作って遊び場も作りたいと先生に提案した。先生は、それは良い思い付きだ、と小屋の建築と一緒に柵も作ってくれることになり、柵用の杭と板を注文してくれた。注文の数は、もちろん自分たちで計算しなければならず。巻き尺を持って来て計測し、それをもとに設計図を書いて先生に見せた。大きさと形はそれでいいと言うことになったが、板を全面に張らなくても逃げないから、板の枚数を減らすことと、打ちつける釘を購入することを教えられて、資材を扱う店に注文してくれた。間もなく店から資材を運び込んでくれた人が、作業の進み具合を見ていてくれて、打ちそこなった釘などを直してくれたから、設計図に近い立派な遊び場が出来た。 私は、小屋の隅で柵を打ち付ける音に怯えていたマイちゃんを抱きかかえて、遊び場に連れて来て、降ろしてやった。マイちゃんはロープなしに広場に出されて大喜びしているように走り回った。それまでマイちゃんを怖がっていた子も、私が抱きかかえているのを見て安心したのか、恐る恐る頭を撫で、やがてマイちゃんが何もしないおとなしい動物をわかって、抱きしめたりするようになった。 そんなある日、帯締めのハーネスが、大きくなってきたマイちゃんには短くなって、首に巻かれるようになっていたが、町を散歩している途中にその帯締めが外れてしまった。それに驚いた子が大声を出したから、マイちゃんは驚いて走り出した。子供たちが大声で追いかけるから、マイちゃんはよけいに走り出した。そしてそのまま国道に出てしまった。国道は危ない、車が来ればひとたまりもない、そう子供の声にマイちゃんが逃げ出したことを知った大人たちが思った。二人の人が自転車に飛び乗って、町はずれの国道の両側に行き、やってくる車を止めて、羊脱走を伝え、ゆっくりと走ってくれるように頼みに行ってくれた。それは騒動が治まって教えてもらったことだが、とにかくみんなが追いかけた。 私は、追いかけるみんなを止めた。そして二手に分かれて挟み撃ちにしようと言い、みんながそれに従ってくれた。町の人も沢山出てきて、やがて挟み撃ちになったマイちゃんは無事保護された。 羊一匹がクラスをまとめ、学校をひとつにし、地域を結びつけることになったが、マイちゃんの世話をすることで、子供たちは兎や鶏や家鴨(あひる)の世話の仕方を学び、あっちこっちの家で飼っていた鶏や兎や家鴨が遊び場を作ってもらい、その家の子だけでなく、友達みんなで世話をし、遊んでもらえることになった。羊の身になることは、友達同士の間でも一緒だと知ったのか、そんなことがなくても、親の格差が子供の平等性を失わせることがなかった田舎だったからか、近年大きな問題となるいじめなどなかった。むしろ、思いやりが相手ばかりでなく、自分の気持ちにも嬉しいことを学んでいた。