2013年12月12日 更新 十四 動くものを作る 動く物を作る、それは子供時代の最大の挑戦で、材料を手に入れるところから始まり、それを作る道具を調達し、そして見よう見真似であったり、年長者の助けがあったりしても、それが形となって一応の完成をし、それが動くようなことがあれば大きな達成感を与えてくれた。そしてその工作物は次第に発展もした。 例えば最も手軽な竹細工にしても、竹トンボなどは、相当な技術を必要とする。それが風を利用するために微妙な形のバランスが必要で、羽根になる両側は丁寧に削らなければならない。それでも数秒の飛翔であり、しかも上手に両手をスライドさせることが出来なければならない。それが模型飛行機にでもなれば、よほどの技術と慎重さがなければ作れない。竹と紙とで作り、それをプロペラに繋いだゴムバンドの動力で飛ばすのだが、その組み立てキットを買ってもらうことが出来れば、ヒューム管と言う竹ひごと竹ひごを繋ぐ金属の物が使えるが、キットを買ってもらえない家庭の子供は、全て手で作らねばならない。 まず木を削って胴体になる部分を作るが、軽量化のためになるだけ細くし、それでも小さな釘を打ってゴムで動力を付けなければならないから、軽量化と小さいとはいえ釘を打つことに耐えられる強度も必要だったから、子供ながらその二律背反には苦労する。翼になる部分は、竹を何度も割って細長くて均等な竹ひご状にするが、ここまででも相当な努力をしなければならない。それを翼に作るために、うまく曲げなければならない。火鉢の上などで、慎重に慎重に左右が同じになるように作る。その上に半紙などを張るのだが、糊(のり)はご飯粒を練って作る。プロペラも手作りとなると、これも相当に大変な工作で、航空力学など知らないから友達の飛行機を見せてもらって作る。プロペラの形状を真似て作らねばならないが、その中央に針金を通す穴をあけねばならないから、細くしすぎることもできない。そして先端に胴体部分と同じ太さの木を小さく切って糸で縛りつけ、それに穴をあけて針金を通す。その木の両側には女の子に貰ったビーズなどをはめ込んで、回転を滑らかにするように作る。 この手づくりの模型飛行機は、子供には荷が重い繊細な削る作業があり、それが強度と軽量化を共に満たしていないといけない。その上、欲張ってゴムを沢山使って、ぎりぎりまで回して力を貯めれば、飛ぶ前に胴体が真っ二つに折れる。そうした幾つもの矛盾する要素を子供ながらに慎重に配慮しながら作り上げる。だから完成した時の達成感と喜びはラジコンなどの飛行機を飛ばす比ではない。 しかも飛ばす時には、高い岩や木の上から川や溜池に飛び込む以上の緊張が走る。自分のここまでの労力と注意力と工夫が一瞬にして消えてしまうからである。いや、作っている過程に価値があるのだから、という慰めは何の役にも立たない。頭上高く上げて、プロペラを制止していた指を放して、同時に機体を前に押してやる。すすろ、確かにプロペラは回る。そして、そのまま手の押した力の分だけ飛んで、地面に墜落することもある。壊れずに墜落すれば、飛ばなかった理由を考えればいいのだが、プロペラが折れるとか、胴体が折れるとか、翼が破れるなどすれば、再度の飛行実験までに、作り直しをしなければならない。だが、たとえ数メートルでも、プロペラの自力で飛ばない間は、何としてでもやらなければならない。 ライト兄弟の初飛行は、十二秒で三十六・五メートルだったと言うが、その時の感動はたとえ数秒であっても自力で飛ぶ飛行機を作った子供にはわかる。三十六・五メートルの先には、地球を一周できる飛行距離の飛行機が見えていたように、手作りの飛行機を作ったことで、自分も世界の仲間入りが出来たように思う。それは日頃から動く物の素晴らしさに興味を持ち、自分で動く物を作ることが、いかに難しいかを知り、そのことによって動くものを作ったと言われている神への畏敬の念も生まれたのだろう。 後年、映画作家の戸田視朗氏が、「物を創作することは神の思いを思うことである」と言ったが、まさしく至言で、子供が物創りをし、それなりの結果を出した時の感動は全身が震いわななく胴震いとなる。だから、日頃よりその仕掛けを知りたいと思ってか、動くものには興味を持って見つめる。蜘蛛の巣などは、蜘蛛そのものが動く不思議さの上に、巣の模様を創り上げることの素晴らしさに圧倒され、その仕組みへの興味を湧かせてくれた。それを後年昆虫図鑑などで調べ、高い場所と高い場所を繋ぐ技、そして粘り気があるのは横糸だけだという縦糸と横糸の妙を知り、蜘蛛の仲間には、張る作業と同じように片づける種類さえいることを知った。そして、知れば知るほど、子供時代にその作業を飽かず眺めて、感心していた自分を思い出し、彼らの巣の仕組みを知れば知るほど、それを創造した神のような存在を想定しないことには納得できないと思った。 動くものの観察と言えば、蟻なども良く観察していた。巧みに歩き、高い所にも難なく登り、蟻の道で二匹が出会った時の挨拶に見える動きなども時間を忘れて眺めた。自分の何倍もある葉をくわえて巣に戻る光景はヨットのように見えたが、一匹の力ではとうてい無理と思われる何十倍もの大きさの蝶の羽の一部などは、三匹がそれぞれの隅を持って運んでいる。その共同作業の面白さと、決して平らでなく、彼らの体ならば巨大な岩と思える小石を上手に越えるために、三匹の間でどのように意志の伝達をしているかが知りたいと思った。それは後年、意志の伝達でなく、ひとつの意識の共有に違いないと思うきっかけになった。 こうした巧みで複雑な動きの他にも、単純明快で、動力もなく、ただ綺麗に動くものにも興味を持ち、一度教えてもらうと、それを見かけるとついついやりたくなってしまった。それは里芋の葉の上の水滴で、葉全体に散らばっている水滴を、中央のくぼみにひとつにすると何でもないことが妙に嬉しかった。その理由が分からなかったが、水滴が丸まっている面白さなのか、それとも滑るように動く動きなのかと思ったが、その里芋の上の水滴は、年齢にふさわしいことを次々と教えてくれた。 その最初が表面張力で、それによって丸まることを知った。次の里芋の葉の表面がつるつるしたガラスのように見えるように、表面の滑らかさだと思っていたが、その表面には小さな粒粒が一杯あって、それが水を弾いて、撥水性(はっすいせい)と言う機能を果たしていることを知った。里芋の葉は超撥水性だという。そこではたと気が付いたのは、その超が付く撥水性で、水滴を丸めて、ひとつにする理由であった。確かに調べてみれば、小さな水滴を集める時に、表面の埃や小さな虫を集めて表面をできるだけ綺麗にして、それを大粒にして、風によって下に落とすためだという。また里芋が水田の跡地で作られることが多いように水分が必要なために、葉の上からの蒸発を少なくして、水滴を即座に根元に落とすためだとも言われる。さらには自分で水を分泌して落とすとも言われるが、本当にそうだろうかとも思う。それをロータス効果と言うから、蓮の葉と同じで、いわば蓮の葉が聖者で、里芋が普通の人間かとも思ったが、ロータス効果は、邪魔者なく陽の光を浴びられるように綺麗にするためだという。 その自浄効果を持っている蓮だから、清廉な物の代表として仏像や仏画の台座に表現されてきたという。蓮が描かれていることに、「泥濘の蓮」と言うことだけでないことも知らされた。雨上がりに多数の水滴が付き、その茎を持って少し揺らすと中央に集まって丸まり、やがて地面に落ちる。その間、陽の光がどの水滴にもあり、ひとつになってもあり、水滴が落ちた後の葉もキラキラ光る。その美しさを一度知ると、雨上がりに里芋畑の傍を通ると、ついつい茎を触って、水滴を集めたくなる。一粒一粒にも太陽があり、ひとつのまとまっても、それが落ちて葉だけになっても、太陽の光はある。どこにも、いつでも、しかもそれぞれにある。それは後年の「部分に全体が秘められていること」を納得しやすくしたのだろう。子供の頃にはそんな世界の仕組みにまで思いを馳せられなかったが。 しとしとと降る雨に、里芋畑の近くで観察していると、里芋は確かに生きている。水滴を丸めてひとつに集め、それが重みを持つと少しの傾斜を見つけて滑り落ちる。それがあっちこっちで起こり、里芋畑全体が生きていることを教えてくれる。たとえ小さな粒粒による撥水性だとしても、子供の視覚にはすべすべと滑(なめ)らかにしか見えない葉は、どこか妖艶にも思えた。柔肌を知るずっと前の子供時代だから、それを柔肌に重ねて妖艶に思ったのではないのだろうし、妖艶などという言葉を知らなかったが、それでもなまめかしく艶(あで)やかだとは思ったのだろう。