2013年12月5日 更新 十一 蒸気機関車 「肺に影があるために精密検査をさせていただいたのですが、肺病とか肺癌とかいうような進行性の物でもなく、また煙草のせいでもないようです。ええ、もう長く吸っていらっしゃらないということですし、間接喫煙でもこうはなりません。むしろ過去に肺に悪い環境に生きていらっしゃって、それが灰を痛めてしまったのでしょう。その傷の痕(あと)とでも言うものです。これがどうこうというように現在の体調に影響はありませんが、呼吸量が少ないのはこの影響かとも思います」 やっぱり、あなたがたのせいですよ、私は、その巨大な生き物たちに敬語でそう言いたかった。と言っても恨み辛みの語調でなく、笑いながらである。肺の一部を傷つけられても、かけがえのない思い出を作ってくれたからだ。いや、思い出のように過去に停止していない。大地を嘗めるように走ったり、鉄に爪を立てながら坂道を喘いで登ったり、ぐるりと一回転して、誇らしく新しい旅に出発したりと、今もなお生きている。 身長三・九八メートル、長さ十九・七三メートル、体重七十八・三七トンで、シロナガスクジラに次いで巨大である。シロナガスクジラは、地球上で存在したと確認されている限りの恐竜や動物を含めても史上最大の「命」で、体長は三十四メートル、体重は百九十トンまで確認されているというから、シロナガスクジラには勝てない。巨大である以外にも共通点がある。それは鯨が潮を吹くように煙を吹きあげる。 一度の呼吸でその煙は山のふもとにあった小さな街全体を覆い、嘘のような話だが、青空が一瞬にして消える。洗濯物が黒くなるのはもちろんのこと、昔の英語の教科書には、確か「色合い」を示す「tint」だったかの例文に、「米原の雀は黒い」とあったように思う。もちろん山の木々も家々も真っ黒で、山で一日遊ぶと真っ黒の顔になってしまった。 「公害」などが取り沙汰される前のことだったし、町の住民の多くが彼女によって生計をたてていたからなのか、誰も文句を言うことはなかった。母やお手伝いさんが、真っ黒になってしまった洗濯物を取り入れる時に、「あぁ、またこんなにして」と言うようなことはあったが、それには悪戯子(いたずらっこ)をたしなめる響きしかなかった。誰も大声で文句を言わなかったのは、彼女たちが好きだったからだ。 彼女たちが、と言ったが、彼らは明らかに女性だった。C五七などが「貴婦人」と呼ばれていたからではない。隣の樋口のおじさんが運転席で運転しているところを見せてもらって、そう思った。隣のおじさんは、皇室用客車の「お召列車」の運転手で、日本で最も蒸気機関車の運転の上手な人だと言われていた。 休日で庭仕事をしていたおじさんを私がじっと見ていた。最初、隣の子供が自分を見ていることに気付いたおじさんは、いつまでたっても子供が自分を見続けていることを不思議に思ったようで、声をかけてくれた。 「ぼん、どうしておっちゃんばかりを見ているのや。何か面白いことあるか」 尊敬して、限りなく神のように思っていたおじさんにそう聞かれて、私は立ち上って直立不動で答えた。 「おじさんが、お召列車の運転手だと聞いて、どうすればあんなにうまく運転ができるのかと思っていたので、それでじっと見ていたのです」 「そうか、よっしゃ、そんなに言ってくれるんなら、明日の三時頃は車庫に来れるか」 「はい、絶対に行きます」 「機関車を回す所がるだろう」 「はい、転車台ですね」 「ほほう、よう知っとるな。その横に車庫があるやろ」 「D五一が入っている方ですか」 「それも知っているのか。そこや。そこに三時に鉛筆を二本持って来てくれたら乗せてあげる。できたら新しい鉛筆がええな。そやけど、誰にも言うたらあかんで」 「はい、わかりました」 直立不動で、神様からの託宣を受けているように聞いた。鉛筆二本を何に使うのかも聞かずに、明日三時、鉛筆二本、明日三時、鉛筆二本、そう思うことばかりで、いわゆる上の空のまま次の日の三時を迎えた。 「おお、来たか。よっしゃ、乗せてもらえ」 すでに運転席に座って窓から顔を出していたおじさんはそう言うと、下で待っていてくれた若い助手のような人にそう言い、私は抱かれて運転席に上がる階段にのせられた。 「はいはい、こっちに来て。鉛筆は持ってきたか。そんならここに立ててくれるか」 鉛筆を立てるという簡単な作業だったが、緊張でなかなかできなかった。目の前にびっしりと並んでいる計器や丸や六角形のバルブやレバーが一杯あり、それだけで圧倒されていたから、今までにない緊張をしていたから、手の震えもあって自分で二、三度倒してしまった。それでもおじさんは急がせることもなく、にこにこと見ていた。ようやく鉛筆を立ててそっと手を放した。 「よっしゃ、これで準備完了。吉田君、ええか」 「はい、樋口さん、準備完了です」 「ぼん、ええか、外の景色と鉛筆とをしっかり見比べてや。緊張はせんでいい。せっかく来てくれたんやから楽しんでくれんとな。緊張しとったら見逃すかもしれんぞ。楽しみながら見てくれるほうがいいよ」 「はい。わかりました」 一層緊張してしまったが、おじさんがじっと見詰めて、私が緊張を和らげるのを待っていてくれた。大きく息を吸って、ようやく緊張は弛んだ。 「よっしゃ、そんなら行くで。発車二分前」 「発車二分前。計器再点検」 吉田さんがいろいろな計器を声に出して点検している間、おじさんは機関車に話しかけていた。 「ほな、すまんな。今日は特別や。そこまでちょっと走ってもらえばええんやけど、大事なお客さんや。将来、あんたを動かせてくれるかもしれんから、いつものように、優しく、優しく、おしとやかに、おしとやかに頼むで。ほんまにあんたはええ女や。貴婦人言う人もあるけど、確かに凛として綺麗やけど、わしには世話女房みたいなもんや。いつも優しくしてくれるし、わしの思っとることちゃんと分かってくれとるし、ほんなら頼むで。ゆっくりゆっくりと行ってや。ほんなら頼みますよ」 そう言いながらおじさんは機関車に優しく触れた。そして背中をぴーんと伸ばして大声で叫んだ。まるで巨体の全身に言い聞かせるような大きな声だった。 「出発進行」 「出発進行」 吉田さんが復唱した。機関車が汽笛で返事した。 おじさんはレギュレータとか言うレバーを持っていたが、まだ動いてはいなかった。いや、出発進行とおじさんが叫んだ直後に動いていたのかもしれない。動いていないと思ったのは私だけで、驚くべきことに窓の外の景色が微かに動いていた。そして先ほど乗せてもらった場所の景色がゆっくりと、しずかに後ろに下がり始めていた。 「まさか、もう動いているの」 声に出してしまった。 「そやろ。この子はほんまにおしとやかやから、動いたか動いていないか、わからへんやろ」 子ども心に、「おじさんが動かしているんで、機関車が勝手に動いているのとは違う」とは思ったが、おじさんは、私の疑問などまるで関係の無いように、女性に優しく語りかけるように次第に速度を上げた。 外を見て、鉛筆を見るように言われたことを思い出した。鉛筆は二本とも立てた時のままで、揺れることさえなかった。 「はい、鉛筆を見といてや」 しばらく走ってからおじさんはそう言うと、鉛筆を立てたままでしっかりと停止していた。呆気に取られている私を笑いながら見ていたおじさんは、驚きの目で見詰める私に優しく言った。 「ぼん、悪いけど、ここまでや」 「ありがとうございます」 言葉は一回だけど、頭は何度も何度も下げていた。 「吉田君、頼むわ」 そう言うと吉田さんは私の身体を抱きかかえて階段を慎重に降りて、地上に降ろしてくれた。地面に降り立つと、機関車は蒸気を小刻みに吐きながら呼吸しているようだった。おじさんがいい女だと言ったのが、子供でも分かる気がした。確かに生きていた。そしてとてつもなく巨大だった。 「ぼん、右左見て、気いつけて帰りや」 「ありがとうございます」 そう深々と頭を下げていると、吉田さんが鉛筆を持たしてくれた。 「ありがとうございました」 「良かったな」 吉田さんの言葉に何も返せなかった。今でこそ言葉に綴っているが、その時には、言葉にするのが惜しいほどの出来事だった。私が、線路を離れて、操車場の道路に立つのを見て、機関車は一気に逆走して車庫に戻って行った。樋口のおじさんと吉田さんが機関車と一体と言うか、二人が機関車の内臓の中に入っていると思えた。 樋口のおじさんは、機関車を女性のように扱っていたことは、最初奇異に感じたが、こうして走り去っていくのを見ていると、当然のような気がした。そう言えば、昨日庭いじりしているおじさんと機関車の話をしても、おじさんは、今は野菜や花をいじっているので、運転しているのではないとは言わなかった。今思えば、野菜も花も機関車も私もおじさんの気持ちの中では一緒だったのだと思う。 肺に残る影はあなた方の呼吸であり、私の思い出の中では、影でなく光り輝いている。樋口のおじさんと機関車の対話を思い出すと、物にも意識がある、そう思う。そう思うか、それともそんな馬鹿なことは思えないか、それは機械を扱う人に聞いてみればわかる。明らかに金属の塊には、機嫌の良い時と悪い時がある。それを「科学者」はいろいろと詮索するために無駄なことをやるに違いないが、物にも意識があることは間違いない。百歩譲って意識がないとしても、意識には反応するに違いない。その鉄を機械に創ってくれた人の意識によって機械の良さが変わり、その機械を動かせる人の意識によってうまく動いたり動かなかったりする。 少なくとも、感謝には敏感だと思える。そうでしょうD五一さん、ありがとう。