2013年12月2日 更新 一〇 トロッコ 動くものに特別な思いが出来てしまうのは、動くものが少なかったからだろう。もし今のように日常の移動手段をはじめ、家事を行うもの、仕事を行うものなどが動き、それが文明の発達だとすれば、物を作ることが忘れられるという点で、文化の発達と反比例しているのかもしれない。 動くものへの興味と尊敬は、最大の物が蒸気機関車であり、最小のものが蟻や蚊であったが、その最大の物が動く場には特別の思いがあった。それは今に続いていて、それを見たり、その場にたたずむと一瞬に幼いころの震えるような感動に打たれる。思い出などと言って過去の映像や音声に今の意識が共鳴すると言うようなことではない。デジャブと言うフランス語が、日本語で「既視感」と言われる意識の働きで、「ある光景を見てそれを前にも見たことがあると錯覚する現象である。基本的には記憶の中にある昔の映像と今見ている映像が脳内で関連付けられるにもかかわらず、その昔の記憶の詳細を思い出せない場合に生じる違和感がその正体である」とされるが、昔の映像が目の前の映像に結び付くのではなく、昔の映像がそのまま現在の映像のように、わくわくとときめかせてくれる。 動く最大の物が動く場は線路であり、その線路の中でも最も稚拙と思われたのがトロッコの線路で、新幹線の線路が出発点から終着点まで、機械を運ぶ場にふさわしく、バラストと犬釘さえもより安定して堅牢な方法に変えられ、鉄の線路とコンクリートの枕木が寸部の狂いもなく敷かれているのに比べて、トロッコの線路は可能な限り平地を使うが、その上を走るトロッコの動力が坂道の傾斜だったり人力だったりといわばアナログの動力であるように、その走る場も機械のように精巧な物ではなく、むしろどこかアナログ的で、子供の参加など完璧に拒否する確固たる建造物と動力機関ではなく、その仕組みも子供の理解の範囲であり、力が不足はしていても押すようなことは子供でもできるから自分でも動かすことが可能に思えたのだが、それが親しみやすかったのかもしれない。 後年、芥川龍之介の『トロッコ』を読んだ。主人公の良平は私そのものであった。実際のトロッコを見た時は幼い頃で、『トロッコ』という作品を読んではいなかったから、彼の描写が天才的で、時も場所も隔てて同じであるとすれば、まさに芸術として普遍性を獲得しているに違いない。今のように、地上をどの動物よりも速く、空をどんな鳥よりも速く、もちろん水上も水中もそうであるだろうし、大気圏外や月や惑星まで日常的な感覚をはるかに超えた速度で動くものが出来てしまった時代、トロッコのような科学的な進歩とは程遠い乗り物など、誰も憧れはしないだろう。人間が地球上に誕生してすぐに考え出したような「転(コロ)の原理」を応用して、その固い丸い棒や竹を鉄の車輪にしただけで、輪ゴムで蒲鉾板の船や模型の飛行機を動かせるほどにも動力は無かった。坂道をただ下るだけで、上りは人間の手で押すより仕方がなかった。馬や牛に牽(ひ)かせることもあるようだが、基本的には人間の力による。 私たちの子供時代には山裾の工事現場や鉱物の採石現場に行けば、いつでも見られたが、今では映像でもなかなか見られない。だから、どうしてそんなに非科学的で、ダサイ物を使ったのか理解に苦しむかもしれないが、ブルトーザーやパワーシャベル、ダンプカーなどが無かった時代を考えると、トロッコの素晴らしさがわかる。土や岩は鶴嘴(つるはし)やスコップで掘り出さないといけない。そしてそれを土や石の必要な場所まで運ぶ。そこが必要な場所でなくても、荷車などで運ぶためには、とりあえず平地にまで運ばなければならない。そんな時、トロッコは百万力に価する道具だった。一人で運ぶ何十倍、いやひょっとすると百何十倍の土や石を一度に平地まで運んでくれたからだ。 さらにトロッコと言っても、現在の鉄道会社で保線用に使うような近代的な物ではなく、木製の荷台に四つの鉄の輪が付いているだけのもので、辛うじて車輪を直接力で止めるブレーキ装置があっただけだった。さらに、それが走る線路そのものが危ういものだった。鉱山のように長期に渡ってトロッコをしようするところでは、それなりの線路を作るが、山を崩して土を運ぶような一時期使用するトロッコの線路は、下を整地し、グリ石のバラストを敷き詰めて、枕木をしっかり固定するようなものでなく、線路の幅を固定し、線路の下のでこぼこの地面を少しでも走りやすいようにするために枕木を付けただけのようなもので、いつ脱線してもおかしくない危なっかしいものだった。 だが、その危なっかしさがドキドキ、わくわくさせて、トロッコに憧れさせた。あの下り坂の颯爽とした乗り心地を味わえるのなら、上り坂を汗びっしょりで押すことは当然だと思えた。子供心に苦労と報酬のようなバランスを考えていたのか、それほどまでに下り坂のトロッコはいきいきとした生き物だった。先輩の現場監督などいない時などは、若者がブレーキ無しに坂道を下り、まるでヨットのように体重で倒れるのを防ぎながら猛スピードで飛ぶのは何を見るより愉快で興奮した。土を積み込む辛い作業も風が一瞬に吹き飛ばしているように思えた。飛ぶと言ったが、それは明らかに飛んでいた。その頃の子供にはとんでもないスピードだからそう思ったのだが、実際はヨットに近かった。トロッコの線路が整地された上に固定されたものでなかったから、トロッコの重みでしなり、波打つ線路の上をひた走ったからだ。あるいは波乗りを楽しむサーフィンだったのかもしれない。もちろんそんな時代、サーフィンなど聞いたことも見たこともなかった。 私たちもまた芥川龍之介の『トロッコ』の主人公の良平のように、誰もいない時を見計らって、坂の下に止めてあったトロッコをそっと押してみた。一人では無理だったが、三人よれば何とか動いた。鉄の輪がゆっくりと線路を嘗めた。その滑らかさに狂喜した。するりと一回転しただけだったのだろうが、三人とも地球を一周したほどの感激を味わっていた。しかも当時の子供たちが犯す最悪の犯罪に加担しているように、喜びに弾(はじ)ける表情を抑えて顔を見合わせた。車輪がクルリと一周したところで誰もが手を放していた。互いに共犯者の同意を得るようにお互いの顔を見回すと、三人が一致して手に力を入れた。トロッコは、クルリクルリと車輪を回し、子供の力でも動いた。「よいしょ」「よいしょ」三人は下を向いたままで懸命に押した。だが三人がどんなに声を大きくしても、これ以上はとうてい無理という力を結集してもトロッコはピタリと動かなくなった。 「押しててや。力抜いたら引かれるで。がんばってや」 そう私は言うと自分だけ手を放して、周りを見渡した。木の根っこが見つかると、それを大人がやっていたように車輪に挟んだ。 「よっしゃ、そっと手を放して見て。おお、止まっている。止まっている」 三人は、少し傾斜のある坂の入り口にしか来ていないことを知った。これを押して坂の上に辿り着くなんてことはとうてい無理なことを知らされた。 「ここからあそこまでなら走るかもしれんな。ええか二人はそっと乗ってみて。こっち側は僕が飛び乗るから空けといて。ええか、そう、掴まってや。しっかり持ってや。行くで。ええか」 二人はトロッコの縁をしっかり握って、中腰で、というよりへっぴり腰で今から始まることに不安と期待に溺れそうだった。わたしも同じで、その木の根っこを抜き取れば、始まるだろうトロッコの疾走に期待しながら、同じだけ不安と恐怖も持っていた。若者が暴走する情景を浮かべて、それを期待しながらもそんなに走ってはどうしようもない、そう思ったのだが、そんな坂の入り口で走るはずがなかった。だが、木の根っこを外そうと、少し引っ張ると、それだけでトロッコの車輪は、木の根を潰して動こうとした。私は木の根っこを外さずに飛び乗った。トロッコは子供とは言え三人の重みと私の飛び乗った小さな衝撃で、細い木の根っこを潰して走り出した。坂の入り口とは言え、すぐさま速度が出た。 「ヤッホー」とか「ばんざーい」とか、何か叫びながら風を分ける快感に歓喜の声を上げるに違いないと、乗る前には三人の誰もが思っていた。そしてそんな速度は決して出ていなかったが、それでも三人は口をつぐんだままただ走っていることを体が感じているだけだった。それでも平地まではそれなりの傾斜があったようで、トロッコはスピードをあげてきた。これは大変だと思った瞬間、トロッコは押し始めた最初の地点にやってきて、そのまま止めてあったもう一台に激しく衝突して止まった。乗っていた三人は恐ろしさに震えた。生まれてこれまで鉄と鉄のぶつかり合う激しい音など耳にしたことが無かったから雷に打たれたようにしゃがみこんでしまった。最も簡単な鉄製の連結器が激しくぶつかっただけだったが、トロッコが壊れたのかもしれない、そう思っても誰も口に出さず、急いで飛び降り、工事現場から逃げるように去った。 何日間かは他の遊びをすることがあっても、誰もトロッコの話はしなかった。そのうちあのトロッコは壊れていないかを確かめようと言うことで、またまた工事現場に出かけた。見覚えあるトロッコがいつものように仕事をしていた。確かに四台のトロッコが並んでいて、遠くに見える坂の上で一台が土を積み込まれていたから、あの日に見た五台が見えたからどれも壊れていなかったことを知った。三人はほっとして、またまた夢中でトロッコを眺め始めた。三人はトロッコが戻ってくる場所で、邪魔にならない位置を探して、そこに座って見ていた。一台が坂を踊るように滑って降りてくると、平地でスピードを弛めて、止めてあるトロッコの数十センチ前でピタッと止められた。三人は思わず拍手していた。自分たちはあの短い場所を走らせてぶつけてしまったのに、彼らは今ならサーファーと言えるように危うい波の上を乗りこなして、しかも止めるべきところに止めたからだ。 思いがけないところで起こった拍手に、乗っていた泥塗れの顔が怪訝そうにこちらを見て、拍手を止めない子供を見つけて笑顔に変わった。土を降ろし終えると、その内の年長者が近づいてきた。三人は立ち上ってブルブル震えた。トロッコをぶつけたことが知られて、怒られると誰もが思ったからだ。三人が立ち上がって、目も見られずにうつむいていると、上から「お前ら、トロッコに乗りたいか」と言う信じがたい言葉が降ってきた。三人は一斉に顔を上げて、大声で「はい」と叫んでいた。 今と違って子供でも自己防衛の意識はあったから、今のように、あらゆる場所に柵をめぐらせて、何か起これば、現場の安全管理が問題になるようなことにならなかった時代で、こうした危険な場所でもいわば自己責任が問われるだけだったから、子供が乗りたいと言えば乗せてやってもいい、と思ったのだろう。 「あと一時間ほどで休憩に入る。その時に乗せてあげるから、待っていなさい」 そう言って現場に戻って行く人の背中を見て、三人は「オー」と小さな声を出して驚いて見合い、誰からともなく手を出し合って手を重ねていた。それからの一時間ほどに刻一刻ときめいた時間は後にも先にも無かったように思う。後年、好きな人と待ち合わせした時の意識と変わらないもので、まさにトロッコと言う恋人に抱かれる瞬間を待っていた。 「よっしゃ、そんなら自分で押して見るか」 もう先日試していたから、三人で押せるはずがなかった。それでも三人とも勇んで飛び出してトロッコを押した。この前のおっかなびっくりで乗っていた時と違って、坂道を踊ることを考えると前とは比較にならない力が出せた。それでも坂を少し登り始めて、三人ではどうしようもなく、「うん」「うん」と力を入れる声だけが大きくなっても、まるで動かず、それどころか、せっかく押し上げてきたトロッコが後戻りしようとした。笑いながらついてきた三人が思わず手を貸してくれた。一人が丸太を車輪の下に入れて、それ以上後戻りしないようにしてから、ブレーキをかけた。 「しゃないな。ま、どんなに力がいるかがわかったやろ」 三人は自分で押し上げられなければ坂を下れないと思っていたから、うなだれて首を縦に振った。するとひょいと体が持ち上げられて、荷台に放り込まれた。そうして三人とも荷台に乗せて、大人三人が坂を押し上げた。土に比べれば子供の体重など知れていると思ったのか、普段通りに坂を上って行った。子供にできることはお礼を言うぐらいで、それでも十分でないと思ったのか、三人で歌を歌い始めた。頭を下げて押していた三人が顔を上げて、大声で笑い、さらに勢いを増してトロッコを押した。 坂の上に到着すると、車輪の下に丸太が挿しこまれて止められた。いよいよ坂を下る。 「ええか、飛び出したら怪我をする。この中にいる間は大丈夫やから、そうや君はここを持ち、君もこちら側を持ち、真ん中の子のベルトを持って、真ん中の子は二人のベルトを持って、そうそう、それでいい。危ない、っと叫んだら、そのまま中に座り込んでくれればいい。せいぜい骨を折るぐらいやから」 冗談で言われたが、子供たちは当然だと思った。これから味わえることで骨が折れるような代償があっても、仕方がない、そう思った。 「ほな、いくで」 車輪を止めていた丸太が外され、残ったひとりが飛び乗り、ブレーキが外された。土に比べれば六人は軽いようで、いつも見ているような速度にはならなかった。それでも十分に早かった。風を破り、景色を分けて坂を下った。口を開けると顔が膨らんで、それをお互いが見合いながら大笑いをした。線路と地面がぴったりとくっついている所は嘗めるように、少し凹凸があっても構わず線路を置いた部分では、明らかに跳ねた。線路から飛び出るように思ったが、線路も一緒に跳ねているようで、トロッコは転倒せずに、車輪の鉄と線路の鉄が熱い口づけをしているようにひとつに重なりあっているように思えた。もちろん口づけなどと言うのは今の感想で、当時は線路とトロッコだけでなく、中の六人も一つになっているという感じだけだった。大人と一緒と言う安心が、前回の不安を払拭して、その分まで歓喜に変えた。二十五歳でアナハイムのディズニーランドに出かけた時に、最もすごいと言われたジェットコースターに乗った時も、次に訪れて開業したばかりのスペースマウンテンに乗った時も、この時のような大きな歓喜は無かった。きっと大人になっていたからだろうし、ジェットコースターもスペースマウンテンも精密な機械だったからだろう。そして何よりも絶対的な安全が保障されているからだろう。だが、トロッコの喜びは骨を折ることと引き換えだと思っていたから、いわば命がけの感動だったのだろう。 トロッコへの憧れ、それを誰もいない時に動かせてみる。飛び乗ってみる。見つかって怒鳴られる。そして何とか乗せてもらうように考える。そこまでは、彼のように文学作品として良平の心理を描けないとしても、主人公良平と私の意識は全く同じだと言える。しかし、後半は違う。遠くまで乗せて行ってもらって放り出され、そこからひとりで夜道を泣きながら必死で帰るというのは、芥川龍之介の創作力のなせる業で、しかも最後の言葉を書くためだったのだろうが、その最後のようにトロッコを思い出すことがないのはもちろん、人生に対する考え方も違う。 芥川龍之介の『トロッコ』の主人公良平は、二十六歳になって雑誌社の校正係をするようになるが、「全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出すことがある。全然何の理由もないのに?―塵労(じんろう)に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…」とトロッコの思い出で終わる。 それは、「この長い人生は、子供のときにひた走ったあの道と同じくらい辛いんだと暗に示している。しかも一人で、不安で、心細くて、休みたくて、それでも死に物狂いで走り続けなければいけない。休みたいのに休めない。きっと生きることの難しさやわずらわしさに、大人になった主人公は苦しんでいるのだろう。昔は母の胸に飛び込んで最後は安らげた。けれど大人になった今、安らげる日が来るのか、それは誰にも分からない」と解説される。それはそれで正しいと思う。正しい証拠に芥川龍之介は五年後の三十五歳に自殺する。 この解説が正しいと思うのは、『トロッコ』と言う作品の解説についてであり、芥川がもし解説にあるようにそう言うことを言いたかったとすれば、人生については大いに間違っている。間違っているなんて言えないとしても、人間の法則には合致していないとは言える。すくなくとも人生が辛いと言うのは、辛いと思うからで、意識の枠組みにより、それを辛くないものにすることが「命」を生かすことだが、そういう意識になれなかったから死を選ぶのである。 それは死ぬまで駄文を書き続けている人間より遥かに潔く、ともすれば高貴にさえ思われる。少なくともこの日本列島と言う島国では、文学的価値さえ上げる。「命」を粗末にすることは、潔くも高貴でもない。日本のトップの大学をしかも優秀な成績で卒業し、天才の名をほしいままにした作家とは思えない。敢えて「命」の仕組みに無知だったと言っておこう。そうしないと、人間の意識の進化は望めないからだ。 「命」の仕組みと言えば、全ての命が共通の情報とエネルギーの源基とも言うべき、「神」によって生かされているのであり、その状態は、辛いものでも、悲しいものでも、苦でもなく、いきいき、ぴちぴち、わくわくするものである。そして三十五歳にもなって、母の胸のように安らげる胸を見つけ出せなかったとすれば、彼の生来の頭脳の素晴らしさに比べ、いやな言い方をすれば、あまりに頭が良すぎたばかりに、自分の考えの間違いに気付いたり、他の考えを真剣に考えることが無かったに違いない。念のため言っておくが、母の胸のように安らげる胸は、人間の胸ではない。 中学時代に芥川龍之介の『トロッコ』を読み、最初の部分は良平の子供時代に完全に同化し、わくわくしながら読んだ。しかし、その結末には、中学生だったにもかかわらず何か違和感があった。デジャブの違和感のように記憶と情景の違いでなく、『トロッコ』から暗い夜道を思い出す人間と、怪我をする危機もあったが、線路が今もトロッコの線路のようにときめかしてくれる違いである。 現在、家から数分のところに阪急電車の踏切がある。踏切の中に入って線路をずっと眺めることがある。誰かが遠目で見れば、やってくる電車に自殺をしようと思っているのかもしれないと思うに違いない。心配して、線路を眺めて踏切を出ない男のそばに来れば、自殺する暗い顔どころか、「こんにちは」と満面の笑顔で挨拶をされることに戸惑うに違いない。自殺何て不信心なことはしない。命の法則に楯突くようなことはしない、線路に立っている私は、線路のおかげで命を湧き立たされているのだから。 いや、線路に立たなくても、トロッコを書こうとしてわくわくし、書きだしてから芥川龍之介の『トロッコ』を思い出し、その結末で一旦鉄路が折れたように思ったが、それでもやはりわくわくしている気持ちが変わらない。その証拠は、この話題だけが他に比べて長い。この気持で、トロッコのわくわく意識を、日常の鉄路のように決められがちな線路の上を、自由に、踊りながら走ってやろうと思う。六十年後の今も。