2013年11月30日 更新 〇七 団栗 大きくても親指の頭ぐらいしかない小さな物なのに、それを拾い上げると、幼い頃から少年時代までが全て詰まっているように思って、意識の底から舞い上がる熱いものが体全体に広がって、ジーンとした不思議な感動を呼び、幾つになってもついつい拾ってしまう。橡(くぬぎ)や樫(かし)楢(なら)、柏(かしわ)などブナ科の果実を言う団栗(どんぐり)の中で、最も大きい橡のそれである。カタカナで書くより、どうもひらがなが合うと思ってしまうのは、第二次世界大戦後で、カタカナで表すことになってしまうアメリカ文化の入ってこない頃の大事な遊び道具だったからだ。 もちろん、椎の実などは食べられる。縄文時代には重要な食糧だったといわれるが、子供の頃には重要なおやつであった。普通は生のまま食べるのだが、お兄さんなんかが遊んでくれる日は、どこかでブリキ板を探してきてくれて、それを焚火の上に置いて、椎の実を炒ってくれた。あの味は栗に勝る。味そのものが優るのではないのだろうが、思い出が優る。お兄さんから火を使う時の注意深さを学び、幼い子から食べさせる思いやりを知り、自分は最後まで食べない優しさを教えてくれたのかもしれない。 とは言え、団栗、特に丸みを帯びて二センチほどの大きさで、本州では最大の団栗である橡(くぬぎ)を見つけた時の、湧き上がってくる郷愁の原因が分からない。それは食べ物ではなかった。団栗を食べれば、どもりになると言われた。どもりを吃音(きつおん)と言い換えて差別用語としたが、確かにどもっている子にどもりと言うのは控えたし、本人にとっては辛いことだろう。吃音と言葉を変えても一緒で、言葉が言いにくいとか、つまりやすいとか言うのが良いかもしれないが、団栗から連想する吃音の子への扱いは、子供の残酷さは無かった。お兄さんがその子に向って、「急がないでいいんだ。ゆっくりしゃべれ」と諭すように叱るように言っているのを聞いて、自分たちと違うのだから、とそれを材料にいじめることはなかった。 そう言えば、自慢することはあったが、いじめることはほとんどなかった。自慢すると言っても、誰よりも先に大きな橡(くぬぎ)の実を見つけた時とか、橡に集まるカブトムシやクワガタを獲って来た時のことで、それは先に出かけて努力して自慢した。もちろん、どの木かどうかは誰でも知っていたから、自慢した子を先頭に立てて、皆で出かけた。 だが、それが他の団栗より大きいだけで、別段それで遊んだことから郷愁を呼ぶとは思えない。これで遊ぶと言ってもせいぜい小さな釘を突き立てて独楽にするか、丁寧に中身を削りだして、笛にするぐらいだった。笛と言っても、ピーと一音だけが、しかも鈍い音がするだけの代物で、今なら誰も見向きもしないだろう。 だが、その橡の大きめの団栗は特別な郷愁を感じてしまう。手の中の丸みが何とも言えない心への温かさだったからだろうか、そしてしっかりと握りしめて、大好きだった人に、「コレ」とだけ言って、手を広げさせてあげる瞬間のときめきを覚えているのだろうか。手のひらに置かれた幾つかの団栗は彼女にあげるためにしっかりと握りしめていたから、暖かいものだった。それを感じてかどうかは知らないが、彼女がにっこりとありがとうと言ってくれたことに、当時の感じで言えば、「おしっこをもらしてしまう」ようなときめきを感じたからだろうか。 それに橡が腕白の憧れでもあった大きなカブトムシやクワガタが集まる木だったからだろうか。母の里の神社の境内にあった大きな橡の木は、カブトムシの集会場のようで、樹液が出るような場所だけでなく、見上げるような木の上にもいた。そんな時は、順番に木の下に行き、木の上に向って小石を投げる。投げた本人も急いで木の下から離れると、うまく行けば、小石と共にカブトムシまで落下してきた。 そんな思い出を総合計しても、過去のことだからと思い出の中で精一杯飾り付けても、橡の大きな団栗を見つけた時の喜びと、そのときめきは尋常でない。今、おしっこを漏らせば高齢によってしまりが悪くなったからだろうが、子供時代におしっこをもらすような熱い、どこかまだ知らぬ性を予感するときめきを感じる。 団栗はコロコロと転がって御池にはまらない。コロコロ転がって、時間を転がして、遠い少年時代のその時にはまる。今度見つけたら頬ずりしたい。