2013年11月28日 更新 〇五 白百合 この物語が全てそうだが、半世紀前の記憶を今の意識で解釈し直しているだけで、当時はそうしたものごとに対する思惑や駆け引きや欲望などは全く無く、感覚に即応したり、考えるまでもなく筋肉が働いたりと、当然のことをしているだけだった。ただ素直に喜んだり、感動したり、悲しんだりしていただけで、そこに秘められた意味など分かっているはずがなかった。だが、その生々しいというか、半世紀後の今でも感覚に鮮やかに蘇るような記憶であれば、それはその後に学ぶものごとを分かりやすくすることを知った。そう考えると、幼児教育や学校教育は、いかに多くのことを実際に体験させるかが第一のことに違いない。特に自然の移り変わりを肌で感じさせることである。 例えば、香りが素直に理解させてくれたことがあった。 「野の百合のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織もしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」と言う『新約聖書』の『ルカによる福音書』の言葉を聞いて、頭の中が、芳(かぐわ)しい、最も好きな香りに満たされた。 家の後ろにあった標高二五〇メートルほどの山の南斜面は岩山で、なかなか見つけることができなかったが、その山を登りきった北斜面で、他の峰の影になっている場所には、芳しい香りが山一杯に広がっていた。斜面に灯のように白い花を咲かせる笹百合は、子供心にも美しいと思ったのだろう、その時期になると、ただそれを見るためだけに愛犬と共に山を駆け上った。記憶の中に純白を咲かせ、香りを放つその花は、もしも山を駆け上って、裏側の北斜面にまで来なければ見られなかったという当たり前のことの意味が、半世紀後に意味を持って、より鮮やかに輝き、香りを立たせる。 と言うのは、当時、そんなことに気付くはずもなかったが、あの花々は誰に見られようともせず咲いていたことを改めて知った。そして私が犬の後ろを登ってきたように、犬の後を追って勢いよく斜面を駆け下りれば、百合を倒し、折ってしまうことがあるかもしれないが、それでも百合はそんなことを微塵も警戒せずに、無防備で精一杯咲いていた。 それは後に、ジッドウ・クリシュナムルティが、「花は無防備ゆえに美しい」と言った時に思い出した光景だった。そして誰が何の世話もせず、肥料もやらず殺虫剤も蒔かずにあんなに綺麗に咲いていたという記憶が、不耕起自然農法の正しさを教えてくれた。そして笹百合が日本特産で、縄文時代からその球根を食用にしていたと知ると、いよいよ笹百合や鬼百合が好きになった。 カサブランカの大きな花束を持った知人が見舞いに来てくれた。危篤状態だが意識は研ぎ澄まされていた私は、病人を見舞うマナーが気になって、「せっかく頂戴したお花ですが、ここには飾れないですから、お気持ちだけいただきます」と言った。知人は、「ええ、分かっています。『匂いの強い花はご遠慮ください』と看護士詰所の前には注意書きがありましたが、ご心配なく、許可をいただきましたから」と持ち込んできた花瓶の中にさっさと生けてくれた。 包まれて抑えられていたのか、花が病院に不向きだと遠慮していたのか、包んであったセロファンを取って花瓶に生けられると、天空に広がって咲く花火のように香りが弾けた。狭い病室は百合のアトマイザーとなった。 後で聞くと、私の命は風前の灯で、いつ消えてもおかしくない状態だったから、医者も看護士も、その花が好きだったらそうしてあげてください、と許可したそうだが、白い菊や百合が棺桶に入れられるのは、腐臭を香りで弱めるためだとすれば、私はその時、すでに死んでいて加齢臭どころか腐臭を放っていたのかもしれない、とも思った。もちろん、そう思ったのは、退院後に生きている不思議さを見たいと言ってやってきてくれた看護婦さんから、カサブランカを許可してくれた時の話の中で感じたことで、カサブランカの香りが部屋一杯に弾けた時は、香りが記憶に結び付き、裏山の笹百合が元気づけてくれた。 今でもそうだが、百合の匂いは、意識のどこかでカチッと音を立ててスイッチを入れ、目くるめく陶酔感に襲われる。もちろん一瞬のことではあるが、イエス・キリストやジッドウ・クルシュナムルティの言葉が意識を過(よぎ)ることで、人間の存在の核とも言うべき神の存在に触れるのかもしれない。その証拠は、明日をも知れない難病の危篤状態が、カサブランカの日より、腸や胃はもちろん、肺や心臓にまで厚く付着して機能を阻害しやがて器官を全て停止さそうとしていたアミロイドを、薄皮を剥ぐように剥してくれたことからもわかる。その香りは、汚物とまでは言わないまでも、意識を汚しそうな雑味を消してくれて、意識を蕩けさせてくれる。百合の香りは神の吐息に思える。 カサブランカは、日本特産の笹百合や鹿の子百合などを親として交配されたもので、その名前は、スペイン語で「白い家」を意味するという。私にとっては、香りに包まれた「神の家」と言う意味になる。