2013年11月27日 更新 〇四 CCB 誰も洗わずに口にした。犬のおしっこがかかっているぐらいだろうし、リードをつけられて散歩する犬もいなかったし、犬もこんなところには縄張り争いのおしっこを引っ掻けない、そう思っているようで、ふっくらとした実を見つけると誰もが獲り、口に入れた。正確には少々の細工をして口に入れた。 まず、小さな実の両端を切り落とす。もちろん爪でできる。可能な限り平行四辺形の形にする。すると背中に筋が残り、両側に垂れているから、その筋を剥ぎ、両側に広げる。そして中身の種と筋を綺麗に取り去って、指に唾をつけて内側をつるつるにする。開いている部分を閉じ、それを上にして、平行四辺形のでっぱりになっている方を奥に入れ、歯で優しく噛み、唇を添える。半分ぐらいを外に出して、強く息を吹き込むと、ピーと言う音がする。 カラスノエンドウで作る草笛で、春先のピンク色の花の後にできるえんどう豆に似た実で作る。花の後で、痩せた実がふっくらと膨らんだ若々しい実が最も良く、しばらくすると黒くなって弾け、種を飛ばす。夢中で遊んでいても、それを道端に見つければ、誰もがしばし立ち止まって草笛作りをして、それぞれが顔を見合わせながら音を競う。 木の葉で作る本格的な草笛だと曲も奏でられるが、このカラスノエンドウは、ピーピーと鳴る程度である。だから誰にもすぐにできる。それでも音が出た時は、恐怖にひやっとすることのように、胸から上が少し持ちあがって感動する。音が出たことに感動するのは、楽器を与えられて言われたように唇や舌を使って音が出た感動と似ているが、少し違う。カラスノエンドウの笛は拙い、まさに原初的な楽器だが、音を出せる物を作ったという喜びが重なるからだ。物が無いと物を作るとか、ありものを工夫して違う用途にして使うとか、人間の意識は想像的、創造的になるが、物が溢れて、それをただ使うだけの時は、意識の広がりは望めないし、多過ぎる物は意識を乾燥させて、瑞々しい想像力や創造力を養うこともなく、それに溺れると意識を腐らせる。もちろん物自体も腐るが。 物を作らないと遊ぶ道具がない。ブリキやセルロイドの玩具(おもちゃ)などは都会に在っても田舎には当分無かった。だから、竹が玩具の主たる素材になり、何でも竹で作ってみる。竹がいつでも無料で手に入ったからだ。所有者がはっきりしている竹藪でも、筍と違って竹であれば、勝手に切っても誰も怒らなかったからだ。筍でも声をかければいつでもくれた。竹で作る道具は、水鉄砲や弓矢や竹馬などどちらかと言えばハードで男の子の道具で、笹で作る道具はソフトで、笹船など女の子の道具だった。 竹で作る道具の中で最も豪胆な道具が竹スキーだった。まず太い竹をもらってくる。次に子供にはなかなか扱えない鉈(なた)を借りてこないといけない。節を鉈で削り取って、表面を滑らかにしなければならないからだ。そして、最も小型のスキーだと五十センチ程度に切り、できれば両端と両隅を鉈で屑って、竹が手を傷つけないようにする。先端から少し下に穴をあけ、先端から十五センチ程度の所の両側に小さな切込みを入れる。そして火にあぶって曲げる。これが最も簡単な竹スキーで、前の穴に紐を通してそれを持って、腰を下ろして滑る。場所は神社の境内の緩やかな坂で滑る。この小さなスキーに木製の小さなミカン箱を打ちつけて椅子にすれば、幼児用の橇(そり)になる。 歩けるようになると父親などに作ってもらった小さな竹スキーを楽しむが、中学生なると、納屋で父親が雪の行軍に使ったスキーなどを見つけて、それで滑る子も出てきたが、そういう幸運がない子供は、一メートル以上の竹スキーを作る。しかも立って滑る。スキーのビンディングの位置に穴をあけて、そこに縄を通し、長靴をしばりつけて滑る。相当のスピードが出るが、ストックやエッジなどないために、止まる技術が必要となる。広い場所では、横に倒れ込んで止まるのだが、ゲレンデにする場所が細い道であれば、腰を落としながらそのまま座り込んで止まるしかない。 そんな練習を神社の境内で繰り返して、上手に止められるようになると、年長者が上級者用のゲレンデに連れて行ってくれる。ゲレンデと言っても、墓場の上から下にまで続く細い道で、しかも終点は階段であり、階段の両側は崖であり、なんとしてでもその十数メートル前で止まらないと大怪我をする羽目になる。年長者は、石段に雪を放り投げて、剥き出しの石を雪で包んではくれるが、それでも十分に危険だ。年長者は、止まる動作に入る場所に待っていてくれて、止まれと叫んでくれる。 「行きます」 大声で出発を知らせる。 「気を付けろ」 下から大声が返ってくる。それでもすぐには出発できない。神社の緩やかな坂道と違って、途中で少し曲がって終点が見えないし、何よりも細い道を墓石にぶつからずに滑り降りて、年長者の所で尻餅をつかないといけない。横に倒れ込んで止まる広さは無い。恐怖に足がすくむ。下から声がする。 「早くしろ。次が滑れないやろ」 怒鳴り声が足を前に出させる。すると一気に滑る。後年、スキーを熱心にやっていた時代があるが、その時によくあんな風に滑っていたものだと、思い出してもぞっとするが、それは最初のスピードだ。名刀の上に半紙を置くと、半紙は切れない。しかし、「エイ」と息をかけると、静かにするりと切れる。後年、ハガスキーとか小賀坂スキーとかスキー板の老舗の板を買って本格的にスキーをするようになって、それらのスキーが名刀のように人の意志を待っていて滑り始めることを知ったが、竹スキーは容赦ない。最初から滑る。雪の上に竹だから、竹を敷く祇園祭の山鉾の辻回しとは違う。よほど腰を落としてスキーにおいていかれないようにしないと、出発時に尻餅をついてしまう。前かがみの姿勢でスキーを足で引っ張るようにスタートしても一気に猛スピードになり、カーブに差しかかる。ストックなど持たないから、体を反対側に少し倒して、辛うじてカーブの頂上まで登りながら曲がる。まるでボブスレーであった。もちろん年長者がカーブに雪を積み上げてくれていたから、少し体を曲げれば曲がったが、それでもスピードは落ちない。一気に終点に着いてしまう。カーブを曲がりながら終点の年長者が見えた。年長者が見えたら、すぐに腰を落としていつでも尻餅をつけるようにしろ、と教えられていたが、一瞬の遅れは、階段を転げ落ちることになる。足を開いて間に尻餅をついて、スキーはようやく止まる。坂の頂上から終点まで時間が止まる。一瞬の出来事ではあるが、まさに一切を賭けてそれ以上ないと言うほど注意するのだろう。危険が多いほど達成感があるのは、一回目の滑降で分かった。その感動と安堵感は泣きだしたくなるほどで、事実、何人かが滑り降りてから瞼をこすっていた。 遊びの天才だった当時の子供は、竹をはじめ植物は大事な遊びの素材であり、おやつでもあった。遊びの素材の中で最も危険と隣り合わせだったのが、墓場の坂道で立って滑る竹スキーで、最も優しく穏やかだったのは、カラスノエンドウで作る笹笛だったと言える。今でも散歩の途中にカラスノエンドウを見つけると必ずやってしまう。そして今でも同じように鳴ることが嬉しいし、その音を穢してこなかったかと反省もする。 そうそう、CCBと言っても、未成熟のアイドルグループの名前ではない。子供時代にその音からカラスノエンドウを「シーシービー」と呼んでいただけだ。