2013年11月26日 更新 〇三 スカンポ 飢えを凌いだというような大袈裟な物ではなかったが、口寂(くちさび)しさを紛らわせていたのか、痩せた小さな体をブルブルと震わせながら噛(しが)んでいた。思い出をどう粉飾しても決して「おいしい」とは言えない。独特の酸っぱさで、後に知る檸檬(レモン)の酸っぱさとは違って、エグミがあるのか、口をすぼめて酸っぱさを逃がそうとしていたように思う。 だけど、それに懲りて二度と口にしないのでなく、目にすればついつい折って、皮をむいて口にいれてしまう。ポキッと潔く折れるのが面白かったのか、誰もが「シュワ」と感じながら口にした。イタドリである。痛みを取ると書いたり、虎の杖と書いて「こじょう」と言ったり、酸模(スカンポ)と言ったりするが、今思うとどうにも納得のいかないことばかりである。 痛みを取ると書くように、「若葉を揉んで擦り傷などで出血した箇所に当てると多少ながら止血作用があり、痛みも和らぐとされ」て、これが和名の由来だというから、これはわかる。親が食べて見せたのか、毒ではないことは知っていたようで、後年、大量に食べると健康を害すると知ったが、あんなものは大量に食べられない。だからそんな味にしてあるに違いない。 スカンポと言えば、「土手のスカンポ、ジャワ更紗、昼は蛍が、ねんねする」と言う歌を思い出す。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡『酸模(すかんぽ)の咲く頃』だが、幼少の頃は「酸模」と言う漢字どころか、「ジャワ更紗」の「更紗」は漢字を知らなかったし、その意味さえわからなかった。学校で教えてくれたか、母が教えてくれたのだろうが、それでもどうして「ジャワ更紗」なのかが良くわからなかった。ジャワの更紗、インドネシアのバテックがろうけつ染めで、その白い穂がろうけつ染めのろうに見えたのか、全体の歌詞の中での意味合いもまだ理解できない。 「太いイタドリの中には蛇が入っている」とはどこの地方でも言われていたようで、太いものを折る音は楽しかったが、どこかでそれを信じていたのか、太い物を見つけて、得意げに折ろうとしながらも腰が引けてはいた。だが、生でそのまま食べればなんとも言えないまずさだが、皮をむき、茹でてあく抜きをすれば、実においしい山菜料理になる。 近年、ようやく山菜が都市でも入手できるようになり、春先には、ふきのとう、たらの芽、わらび、うど、筍などがスーパーで並ぶが、山は食料の宝庫であった。金儲けに眼が眩(くら)み、杉や檜を植え、野生動物の棲家と食料を奪い、保水力が乏しく根が浅いために山崩れの災害を引き起こし、豊かな山の幸を台無しにしてしまった。 おそらく地球上で日本列島ほど食料が溢れている地域はないに違いない。だから、食の不平等と自給率の低さは仕掛けられた罠だ。流通機構を発達させ、トレイを食料入所の場に限ってしまい、季節外れの、遠隔地の野菜や果物をあたかも文化人のような顔をして食べている。都市の人間が人間本来の暮らしを忘れていくのは仕方がないにしても、暮らしの枠組みと同じように人間本来の意識の枠組みさえ捨て去ってしまう。しかも悪い事には、まだ家の前に菜園があったり、麓までも杉や檜をびっしり植えてしまっていても、少し頑張れば山菜など取れる地方であっても、テレビと言う痴呆化の媒体で、意識だけはすっかり都市化してしまっている。田舎で起る凶悪な犯罪も、残忍な犯罪も、命を何とも思わないのも、すっかり都市化してしまった意識のせいだ。 土手のスカンポは貧富の差による食料の不平等を生まない。それどころか幼い子で手が届かない時は、年長者が取ってあげて、「まずさ」を分かち合った。山菜が豊富で、燃料の宝庫で、田畑の肥料さえ供給してくれる里山は、不公平のないように、その地域の住民が一年ごとに自分の占有できる場を決めたが、村人はもちろん、野生動物とも十分に分かち合えた。 今、土手でスカンポが人間の愚かさを笑っている。今、スカンポを食べれば、世の中の灰汁や苦みが強すぎて、自然の酸っぱさやえぐみを優しく感じるに違いない。少なくともスカンポの記憶は甘くなる。