2013年11月25日 更新 〇二 貧しい豊かさ キイチゴと柿事件以来、彼女が私を見つけると、放送局の喫茶室に連れていって、貧しくない少年時代を聞かせろ聞かせろと迫り、ノートを取っていた。まずはキイチゴのような野生の食べ物についてだったが、これは今思っても結構な数だった。 アケビ、ヤマボウシ、ムベから話した。アケビ、ヤマボウシの名前だけは知っていたが、ムベは知らなかった。だから、まず「むべなるかな」と言う語について文学部出身の彼女に聞くと、「いかにももっともなことであるなあ」と言う言葉が返って来た。その語源がムベで、アケビ化の果樹であること、天智天皇の故事などについて話した。 なんでも天智天皇が蒲生野に狩りに出かけて、この地で、八人の男子を持つ老夫婦に出会い、どうしてあなたがたはそんなにも長寿なのか、と聞いたところ、この地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果で、これを毎年秋に食べるからですと答え、それに天智天皇が「むべなるかな」と得心したと言う。だから、実家の近所の町にその伝説が残り、今も皇室に献上していると教えた。 「どんな味なのですか」 「アケビと同じで甘い。とにかく甘い。だから幾つもは食べられない」 そしてアケビなどと一緒で、なかなか見つからないが、その実を見つければ、それが熟する時を待つ。そして出かけてみると、先に動物に食べられている。だから、自然の中で野生と同じ位置にしかいないこと、そしてそれを分け合うことを学ばされたと言った。彼女はそれに相当に心を動かされたようで、獣害の取材に行って、動物を一方的に悪いと言うドキュメントにしたことを恥じていた。 「インドの聖者は、『常に必要より多めに種を蒔いて、鳥やネズミや昆虫にも行き渡るようにするべきだ』と農民に教えているんだ」 もちろん、子供の頃にそんなことを知っていたわけではない。インドやヒマラヤの聖者の本を片っ端から読んでいた時期だったから、そんなことを付け加えた。 「動物と分け合うのだけれど、アケビもムベも夏にその木を見つけても、木が生い茂ってなかなか近づけないのだけれど、その実が食べられる頃には、木の勢いも衰えて、近づきやすくなるんだ。そんなことも素晴らしいと思うね」 彼女は、文字通り感動していた、自然の摂理と言われることを学べた子供時代を心から羨ましがった。 「栗や胡桃(くるみ)も買うのではないのですね」 「そうだね。栗、胡桃、シイノミ、銀杏(ぎんなん)、松の実もそうかな。栃の実は直接食べられないけれど、親が喜ぶから獲りには行った。親はもちろん子供たちも栗や胡桃がどこにあるかをよく知っていて、それが誰かが所有している山でも、そうしてできた木の実なんかは自由に、しかも分け合っていたね。松茸以外は」 「あの、『パパラギ』に『パパラギはこうも言う、「このヤシはおれのものだ」なぜかというと、ヤシがそのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分ではやしでもしたかのように。ヤシは、決してだれのものでもない。決してそうではない。ヤシは、大地から私たちに向って差し伸べたもうた神の手だ。神は沢山の手を持っておられる。どの木も、どの花も、どの草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である』と書いてあったのですが、それは夢みたいなことだと思っていました。所有権が一切を網羅していて、それを所有しない人が何かをすれば犯罪になるような都会とは違うのですね」 「ツイアビとっつあんの言葉は全部覚えているのですか」 「そんなことありえないと思いながら、本当にそうだと思ったから、ついつい覚えてしまったのですが、もちろん全部ではないです」 「ツイアビの言うパパラギは都市のパパラギで、パパラギでも田舎では所有権を主張しないね。そんな山に自生しているというか、誰かがピクニックにでも来て落としていった種で自生していた枇杷(びわ)や柘榴(ざくろ)も無花果(いちじく)も採り放題だったね。それらも自分が植えたものでないからだろう」 「しかも完熟しているのでしょう。舌に残っているのでしょうね、そういう味と言うのは」 「残っているから不幸だね。今、そんなものを味わえないから。だから、いつか田舎暮らしをしたい。柿が食べたいだけでなく、分け合うためにも」 「いいですね。動物だけでなく人間でも分け合うのですから」 「所有権があったり、誰が植えたかがはっきりしている果樹でも、売ってお金にしようとしていないものは、先般の柿のように、声をかければくれたね。柿、無花果、枇杷なんかがそうだ」 しかし、甘い物ばっかりではなかったが、それでも食べたことも伝えた。スカンポ、そしてグミなどで、他にも一杯あったが、さすが酸っぱい物は記憶に薄い。思い出せないと伝えた。 「では、今、思い出しても極上の物は何ですか」 「黒い粉のふいた岩梨」 「知りません。梨の一種ですか」 「甘い梨の味がするからその名があるんだけど、小さな果実で、なかなか見つけられない」 「それを知らない子供って、ますます不幸で貧しいですね」 彼女との対話を繰り返して、豊かさが物の多さでも、食の贅沢さでもないことを改めて知らされた。しかも自然と共生しないことが貧しさであれば、心はもちろん舌だけでなく、意識も貧しくなることを知らされた。例えば、野生と共生する、同じ地域の人と分け合うということは相互扶助の精神を教え、それを採集する時には、危険を少なくする工夫と、うまく採集する工夫が必要だったから、そうした想像力や工夫に始まる想像力が養われたが、都会で育てばそうしたことを自然に学ぶことができない。そうしたことが彼女を苛立たせていた。自分のせいではなくても、まるで貧しくしか育たなかったことを心底悔やんでいた。 「今からでも遅くないよ。生き方変えれば」 そう言ったが、その悔やみ方、知らないことへの落胆ぶりから、彼女がやがて都会を捨てて、田舎暮らしをすると確信した。