2014年11月22日 更新 あたりまえの世界なんて、錯覚と誤解にすぎない。 だから、ありふれた言葉で語っているだけの時代は、とっくに過ぎたのかもしれない。 真っ赤な薔薇は、一度も赤いことはなかった。ただ、赤以外の波長のみが反射され、それ以外の色が吸収されているにすぎない。もちろん、光そのものに色という性質はなく、光を受けた器官が色を作っているだけだ。 静けさが露となって降る夜明け前。巣立つ虫の声も寒さに途絶え、ものみな夜明け前の眠りを貪るのか、何も動いていない。そう感じている私の心臓は動いていてくれる。だが、染み渡る静けさに降ってくる情報を書き写している私だが、その私が、一秒間に500 メートルを走る超高速の乗り物に乗せてもらっていることにはなかなか思いつかない。地球一周を赤道上で測るとおおよそ40075キロ、これを24時間で割ると、1669・8キロメートル。時速1700キロ。秒速だと464メートル。一秒間に500メートルを移動している。同じように太陽の周りを365日で回るから、一日におおよそ260万キロを走る。時速10万キロで、秒速30キロになる。これはとんでもない速度で、高性能のライフルの初速が秒速1600メートルというから、二百倍近い速度である。あたりまえのことだが、引力がなければとっくに振り落されている。いや、地球そのものが宇宙の彼方に飛び出してしまう。 しかし、私の乗り物に窓がないから、私が猛スピードの上に乗っていることが分からない。だからといって私が生きさせてもらっている地球が自転をしていなくて、そして恵みの太陽の周りを回っていないとは、もはや小学生でも言わない。 だが、残念ながら科学万能のしたり顔も、分かっている部分をくっつけている仮面に過ぎない。地球のことも太陽のことも銀河のことも次第にわかってきているというのに、肝心の人間については、窓のない乗り物に座っているように、何も動いていないように思っている。 心臓がどうして動いているのか、まだわかってはいない。精子と卵子が奇跡的に出会い、受精より数えて二十日頃には、「自立的な脈動が始まり、血液の循環を行い始める」という。もう少し詳しく言えば、「受精より数えて二十一日頃には、心臓や血管を形成する造血管細胞集団が形成され、この頃早くも不規則ながら心拍動が始まる」そうだ。 ヒトの心臓は内臓の中でも最初に出来上がるのだから、まさに命の誕生の瞬間だが、その時胎児はまだ十六ミリから十七ミリ程度でしかない。だから自立的といっても胎児が意志で作るわけでも、「えい」と掛け声でもかけて動かすのでもない。科学が解明できないから「自立」という。ありふれた言葉でなく、難しい医学用語や生物学用語を駆使しても、命の誕生の不思議は説明できない。心臓を動かせたり止めたりできないというあたりまえのことから、命の不思議を学ぶ人は多くない。