2014年7月9日 更新 第二十七回 エピローグ 集合住宅を出た二台のバスは、新名神から名神に入り、大津インターチェンジで降り、大津市を通りぬけて、比叡山ドライブウェイに登った。山頂の四明ケ岳から京都市内を見下ろすと、そこには信じがたい風景が広がっていた。北山も西山も辛うじて残った山裾まで波打ち際が迫り、巨大な湖が出来ていた。おそらく今は見えない足下の東山連峰も、京都湖とでも呼ぶべき湖をたたえる岸辺になっているのだろう。 「京都」はあとかたもなく水没し、消滅し、南は水平線の彼方で、遠く霞(かす)んでいた。京都盆地だけが水没したとなると、かつてあった巨椋池も水を得て昔のままになり、淀川からの海水の逆流もあって、海水と淡水が混じり合う汽水域(きすいいき)になっているのだろうか、そう龍行は霞(かすみ)を思考の中で払いながら、想像していた。 龍行のそばには優貴が寄り沿い、北原夫妻、山岡夫妻と龍行の仲間が勢ぞろいして、ただ茫然と見詰めていた。茫然と佇み、記憶にある京都を覆う渺渺(びょうびょう)たる湖に呆気に取られ、遠くから押し寄せてきた霞が占領してしまって真っ白になっていた意識が、次第に白さを濃くするように、全くの空虚であった白が、何かを創造するために密度を上げたような白に変わっていくような気がすると、龍行の脳髄に懐かしい景色が広がってきた。 「山岡先生、この景色は見たことがありませんか」 「そうか、神代君もそう思ったか。そうなんだ。どこかで見たような景色だとは思っていたが、どうしても思い出せないのだ」 「既視感(デジャヴュ)のようなものでしたら、それは現在の人生でなくても、以前に生きていらした時にご覧になったものではないですか」 珍しく林田が口をはさんだ。この景色を見て、最初、呆然とし、呆気に取られ、言葉を失っていたが、龍行と同じように、優貴はもちろん戸山や林田、山上、鹿原はこの景色をどこで見たかを悟ったようだった。思い出すとかいうような軽々しい言葉では表現できなかった。それぞれがほぼ同時にそう感じたが、その景色が何であるかがわかることで、一切が見え始めたからだ。 「ううん、そうだな、間違いなく見た。しかも同じようにどこからか山を越えて、眼下に広がる水、いやその時は海のように思えたが…」 「山岡先生、その通りです。我々は日本列島の東から来ました」 戸山が会話に参加した。 「それは君たちが知っている場所か」 「いいえ、たぶん、山岡先生も今日のように我々と一緒に立ち尽くしていらっしゃいました」 「山上君は確信を持っているのですね」 山岡先生は、龍行の仲間を見まわし、一段と瞳が輝いている山上に聞いた。 「それはそうです。私たちはここで暮らし始めたからです」 料理人鹿原はすでにここで料理を始めているような思いで、山上に代わって山岡先生に言ったが、それは明るく爽やかで、当時の希望に溢れる気持ちと一緒だった。その気持ちが山岡先生の意識を同じように熱くし、まるで貴船神社の水占(みずうら)みくじのように、真っ白だった意識の中にスーッと浮かんできた。 「わかった。そうだったのか。長い航海の後、日本列島に辿り着いて、新たに住まう場所を探し、ここにきて、この地を永住の地にして、開拓を始めた一万数千年前に見た景色なんだ」 「そうですね。考古学的には、大阪府の高槻あたりまで大阪湾が来ていたようですが、この目の前の京都湖とでも呼べる場所は、かつて巨椋池(おぐらいけ)と呼んでいた巨大な湖などと繋がっていて、海水と淡水が入り混じる汽水域(きすいいき)だと思います」 まるで先ほどの龍行の想像を知っていたように優貴が言った。 「そうか、もうしばらくすれば、この水が少し引いていって、白川の河川敷あたりに住み始めたんだな」 「そうです。ムー大陸の沈没前に逃げ延びてきた、というより派遣されてきた我々の先祖が、縄文時代と学者によって勝手に名付けられた文化と文明の高い時代を作って来た場所です」 鹿原が言った。 「やがて一万数千年して、ここに都が出来る頃には、何度かの大地震によって、周辺が隆起し、中央部も引きずられて高まり、海水は大阪湾のあたりまで引いていったのだと思います。巨椋池を残しましたが」 口数の少ない山上が言葉を続けた。 「君らはまるで地質学者ではないか」 山岡先生が一旦感心したが、すぐさま表情を変えた。 「いや違う、自分達がかつて見たことをいっているだけなのか」 「はい、ばれましたか」 ひょうきんな鹿原がニヤリと笑って山岡先生に向けて、ぺこりと頭を下げた。 「そうです。この地で、我々はムーで培ってきた文化と文明、いや何よりも愛に溢れ、相互扶助の精神で、一切の自然や動物植物などと共生する暮らしを始めねばならないのでしょう」 「そして新しい京都が世界の心のふるさとと呼ばれるに恥じない、世界で最も進化した人間が暮らす社会を作っていかねばならない」 じっと黙って湖を見詰めていた北原さんが口を開いた。その言葉に山岡先生の目が光った。 「それじゃ、山を降りてみますか」 誰もが京都湖のそばまで行きたいと願っていたから、すぐさま比叡山を降りた。地蔵谷を越えると、やがて白川通に出るが、坂が終わりそうなあたりで、バスは急ブレーキをかけて止まった。すぐそばに水際があった。 「こんなところまで水が来ているとなると、銀閣寺も水没していますよね」 「駄目でしょうな」 北原さんの声に山岡先生が言い方は柔らかだったが、捨てるように言った。誰も声を出さなくなってしまった。 「あなた、水が引き始めましたよ」 あまりの光景に恐怖すら感じたのか、何も言わずずっと山岡先生の腕にすがっていた奥さまが叫ぶように言った。 「おお本当だ。とんでもない場面に出来わしているんだ。素晴らしいな、考古学や地質学で論議することが目の前で、今起こっているなんて」 「そうしますと、千二百年前に作られた京都が再び浮上してくるのでしょうか」 「それは望めないな。あの東日本大災害の大津波で見たように、水の動く力はとんでもなく凄いエネルギーを持っている。しかも今回はそれより激しいエネルギーでの地盤の変化だから、以前の京都は水と一緒に地中深く引き込まれて、マグマで一瞬にして溶けてしまったのではないか。水が引いた後は、まるで自然の砂浜のように見えることからもそう思えるが」 確かに目の前の景色は、まるで天地創造の瞬間に立ち会っているように刻々と変化していた。津波の返しの勢いで住宅やビルでさえ破壊されたのだから、万が一、昔の京都が残っていても、それは東日本大震災の津波の被災地のように、木端微塵(こっぱみじん)に壊されたものだけに違いない。しかし、目の前には、そうした人間の営みを思わせるものは何も無く、どんどん引いていく水の後には、岩盤が浮上してきた。 「かつての四条通りより上は、岩盤の上に白川の扇状地が広がったのだが、まるでその通りになっている。そして四条より西は長い間湿地だったし、そのまま巨椋池と繋がっていた」 「では、我々は、縄文人が始めて住んだといわれている白川のほとりに住みますか」 「そうだな、あそこに君の作った新しい集合住宅を建てるべきだろうな」 山岡先生も次の絵を描いていた。 「やはり海洋民族だったのですね。昔は小さな船で高槻あたりまで行けば、そのまま大阪湾に行けたのですから、海の幸、山の幸で生きてきたのでしょう」 「そうですね、大陸から渡ってきた人々のように、水田耕作や牧畜などしなくてもいい生活ができますから」 それぞれが山岡先生に向けて言っていたが、言葉こそ敬語を使っていたが、人間が平等であることを確認するように、よけいな気遣いや愚かな差別観、区別感はなかった。誰もが一万数千年前に辿り着いていたはずの人間の進化レベルから、退化する愚を二度と犯してはいけない、という思いで一致していた。 人間で制御できない自然の猛威こそ神の意志で、そこから人間が学ばない時、多大の犠牲を出してしまうことさえ容赦せず、大災害を繰り返す。 「今回の京都消滅で最後にしないと…」 龍行は、ぽつりとつぶやいた。誰かに聞こえたか、聞こえなかったか、それはわからなかったが、全員の考えはいうまでもなく一緒だった。 それは人間の意識は、自らの肉体の保持だけを考えたり、あるいは自分だけが富を独占しようと思わない限り、視覚に映る個々の人間とは違って、意識というか思考の根源はひとつだからだという思いであり、そして、その人間の確たる認識によっての再出発なのだという考えでもあった。 優貴が龍行に聞いた。 「ねぇ、京都が千二百年で創り上げてきたものを再び創ることはできるのかしら」 「それはねぇ」 「もしもし、お二人さん、睦(むつ)みごとじゃないのでしたら、もう少し大きな声でお願いします」 またまた鹿原の声だった。優貴が珍しく真っ赤になった。そして握っていた龍行の手をそっと放した。鹿原が目ざとく見つけた。 「はいはい、優貴さん。手を放してどうします。今、あなたの中では、わたしたちのように、この事態を目にして犠牲になった人と物、あるいは繋がれたままの動物、ものいわず逆らいもせず沈んでいった植物を思うと、泣きたいような叫びたいような気持が起こっています。怒りや悲しみなどどうしようもない気持ちをリュウさんの手にすがることで宥(なだ)めていたのでしょう。私たちもリュウさんにすがりたい気持ちです。ですから、あなたに任せます。代表して、しっかり手を握っていてください」 「おいおい、みんなですがってくれても何もできないのだから」 「いいえ、私もすがりたい気分です」 北原さんの奥さまの発言に北原さんまでが頷(うなづ)いていた。龍行は山岡先生の顔を伺うと、山岡先生も奥さんも龍行の目を感じて頷いていた。 「わかりました。任せなさい」 冗談と本気ともとれる龍行のいい方に全員が注目した。優貴は鹿原に言われて繋ぎ直した手を強く握った。誰もが、北原さんも山岡先生も、日頃謙虚な龍行の自信たっぷりな言い方に注目していた。 「いいですか。これは戸山さんの受け売りです。この人は、『創造することは、神の思いを思うことである。そしてそれを実践することが神への変性となる』といいました。このことがひとつです。すなわち、神様が天地創造の時にどう思われたか、そう思えば、一部の人間がしてきたように、小賢しい知恵で、自分だけが得しようというような社会づくりはしません。たとえば、バスの走行を可能にしてきたフリーエネルギーの素晴らしさは皆さん体験済みです。フリーエネルギーとは誰にでもフリーで得られるもので、十九世紀から二十一世紀初頭まで、権力をほしいままにし、地球も人間も駄目にしてきた石油資本の好き勝手ができませんし、あの時代遅れの大馬鹿物の原発など断固として不要です。これから何に対処する時も神様ならどうされるか、と考えることです。そうすれば、一切、困りませんし、神様からの情報とエネルギーを貰った天才が『京都』を創り上げてきたように、千二百年の文化的な偉業は再創造できますし、それを特別な理由をこじつけた一部の人々が独占することはありません」 「なるほど、神様ならどう思うか、ですか。自分が馬鹿だと思っていても、神様がどう思うだろうと考えると、何をどうすればいいかがわからない時も、何かが浮かぶようにも思いますし、難問題が出てきても解決が出来るように思います」 鹿原の言葉に全員が頷いていた。 「リュウさん、コツはありますか」 林田の問である。 「それは簡単。その人が頭が悪いかどうかではなくて…」 「良かった。それを聞いて安心です」 とはまた鹿原。全員が和(なご)んだ。 「頭の良い悪いではなくて、いや、もしそうだとしても、たかだか脳の機能の十パーセントに満たない部分の優劣で、それはかつての人間の評価の基準でしたが、これからの人間の評価の基準、本当に頭が良いかどうかは、その人が、自分の思考、感情などをどこまで捨てられるかによって決められると思いますが」 龍行が、北原さんと山岡先生の熱い目に答えるように言った。 「それは個人的な思考や感情を無くすことで、あなたが天とか神様とかいわれるところからの情報とエネルギーを受け取れるからですね」 優貴がじっと顔を見詰めて言った。 「そうです。いつも申しあげているように、人間は今まで思っていたように閉鎖系でなく、開放系で、皮膚呼吸で空気とつながっているように、意識は全部繋がっているのだと思います。それが脳の機能の残りの九十パーセントの仕事のようにも思います」 龍行は優貴にも敬語で話していた。 「そうか、世界はひとつなんだ」 山岡先生の言葉だ。 「京都は、一方で世界に誇れる文化的な遺産を創造し継承しながら、一方でその種の世界の遺産ともいうべきものを個人と組織の所有にして、一部の人が利益をあげてきた。本来、世界の共有財産であったはずのものを、そうした扱いをしたから滅んでしまったのだ」 戸山が断定的に言った。 「沈んだ京都は、平安京造営の時から、盆地という地形を利用して、都を作ったのでしょうが、実はその地形が個人の意識の中にもあり、都が四方を守られながら、近江や丹波、あるいは山城と区別して、ある時は差別して都として生きてきたように、個人もまた都の有り様に真似て、個人個人で生きてきたのでしょう」 「それに千年も都が続き、地方から多くの人が京都に来て、去っていったでしょう。そうすると、京都に住んでいる人は、否応なく、自分達と地方から来た人を区別差別し、どうしても個人個人の発想になってしまったのではないでしょうか」 珍しく山岡さんの奥さんの発言だ。以前にもおっしゃっていたように、京都出身でない彼女は京都に長く馴染めなかったそうだが、それが京都独特の個人主義のようなところだと聞いたことがある。 龍行は、かねてより京都が唯一の都会だと思っていたが、それによって京都の個人主義を説明した。それはこうだ。確かに千年都であった京都は、日本列島で唯一都会人の暮らした場所で、後の全ての都市は、多かれ少なかれ農民と農民出身の人で構成されている。そこには農民がひとつの地域で水系を中心にまとまっていたというか、一緒に生きなければいけない運命共同体的な関わりがあった。それはもちろんいいことばかりではない。人の考えに逆らわないとか、個人の意見を殺して集団の意見に従うとか、むしろ悪い面が多いが、それでも人間がひとつのものであるという考えは辛うじてあるのかもしれない。しかし、京都には個々の家族で暮らしてきた遊牧民などの末裔が渡来したこともあり、さらに都経営のために特殊な職業が多数必要だったこともあって、個人個人で生きる土壌が育まれてきてしまった。その良さもあるが、しかし、人間の意識、いや世界の存在の意識的なものがひとつであるというような考えにはどんどん遠ざかってきてしまったのではないか、そう思うと龍行は言った。