2014年7月5日 更新 第二十四回 確かに、いつもと同じ渋滞気味の道路を西に向かっていると、急いでいる感じはあっても、足がついてこない高齢者が数人いた。犬が引っ張っている。たぶん、気が気でないのだろう。バスを止めて近づくと、尾をちぎれるほどに振って喜び、首輪をはずしてやるとバスに飛び乗って来た。そんなことを数回して、西大路との交差点で西に向かうのをやめた。そして交差点内で大胆にUターンして再び東山トンネルと目指した。 「交差点内Uターンは道路交通法違反です。パトカーに見つかれば、追いかけてくるでしょうが、東山トンネルを抜けてから捕まります。その警官たちも助けられるでしょうから」 中村さんは、歩道を凝視しながら気持ちを落ち着かるためか、軽口を叩いて運転を続けた。そして、歩道に車を寄せて止めると、自分から飛び降りた。見れば、シルバーカートというのか、押し車をゆっくりと押しながら歩いている老婆がいた。足が悪いのか、それは急ぐという言葉ではとうてい表せないスピードだった。車につけられているバッグからチワワが懸命に吠えている。それは近づく中村さんを威嚇しているという鳴き声ではなかった。犬にはわかっているはずだった。逃げだしたいが飼い主のおばあちゃんがいる、だから見捨ててはいけない、どうやらあなたがたは助けに来てくれたのだろう、そんなチワワの声が聞こえるようだった。中村さんは、それでも律儀に老婆に聞いていた。一刻を争うはずだが、きっと確信しているのだろう、先ほどの必要な事が終わるまで無慈悲な事はしないという神様の思惑を。 「おばあちゃん、どこに行きたいのですか」 「なんか京都が怖くなって、逃げたいのですが、足がこんなんですから、なかなか」 「では、私たちと一緒に逃げましょう。ワンワンも一緒に」 「犬だけでもお願いします。私はどうせ…」 中村さんは動物を飼っている老人が必ずいう言葉を無視して、シルバーカートごとバスに乗せた。 「おばあちゃん、いらっしゃい。ワンワンも御苦労さま。なんてお名前ですか」 「ミリっていいますが、ありがとうございます。ありがとうございます」 運転席に戻る中村さんからおばあちゃんの手を預かって座らせ、バッグのままチワワを抱き上げた。チワワが鼻を舐めてくれる。初対面でこんなに喜んでくれるのは、本当にやりがいがある、龍行はそう思った。 「中村さん、OKです」 「了解」 バスは椅子や床に座り込んだ老人二十四人と犬が二十六匹で鮨詰め状態だった。 「中型免許は乗車定員二十九人だから、二十四人と私たち三人で二十七人で合法ですが、犬を数えると違反です。交差点内Uターンと合わせて、乗車定員オーバーは京都府警、いや京都府警はしばし無くなるから、京都府警以外の警察に自己申告して…現行犯だから無理か…」 中村さんは相変わらずこの任務を楽しむようにいっていた。どんな緊急事態でも慌てないことは何よりも大事だ。慌てることによって本来やってくるはずの神からのエネルギーも情報も拒んでしまうことになる。というのも、慌てるのは、自分自身の命が危険に曝(さら)されていたり、財産を無くしたり、自分の名誉は地位や人気などを失う事態が起こっているからで、それは自分自身の本質的な価値とは関係のない他者からの評価や財産に執着することで、意識は個人の情報系を閉じ、外からの、いや天からの情報やエネルギーを拒んでしまう。だから慌てれば慌てるだけ、個人の目先の利害にとらわれ、結局は最も望まないような結果を招いてしまう。逆に「火事場の馬鹿力」といわれるような信じがたい力が湧くのは、その人が純粋に誰かを助けたいとか、なんとかしてあげたいというような自己保存の欲求を遥かに越えている時に違いない。「無心でした。知らない間に自分でも信じがたい力が出たのです」というのは、明らかに自分がとらわれている欲望や感情などを持たない、まさに無心であり、神というべき情報とエネルギーの原基形態のような場から力を得たのである。 龍行は逃げ遅れた人がいないかと、何度も後ろを振り向いていたが、この時間になってもこの道路に現れない以上、あの轟音ですぐさま行動を起こしていないに違いないから、もはや我々の力では何ともならない、そう諦めもした。バスの中は鮨詰め状態にも関わらず、実に静かで、犬たちも飼い主の膝の上で眠っていた。飼い主も飼われる犬も安心したのだろう。 龍行は初めて、電柱で蝉の知らせを持って山岡先生の所に出かけたころからの今日までの活動に意味を見出した。このお年寄りと犬たちの安らぎこそ、京都消滅と引き換えに手にできるもので、そのために我々の活動があったのだ、と龍行は京都の大災害が予測されるにも関わらず、鎮まりかえった気持ちでそう考えていた。 しかし、そうした感慨にふける間もなく、山科小学校のグランドに着き、バスに収容していた人たちを手際よく分散させ、伊勢の集合住宅に送り出した。誰も文句を言わず、いや質問さえしないで、粛々と行動をしていることに、しかも助けを断りながら必死で行動している姿に、思わず涙を零(こぼ)した。年老いるまで生きてきて、何一つ持ち出すことが出来ず、ただ自分の愛する犬だけを抱いて脱出してきたおばあちゃんたちに感動を覚え、深い尊敬を感じていた。今日はゆっくりと「極楽、極楽」と言わせたい。そう思いながら、集合住宅に向かう鹿原に、老人用のご馳走と、ペットのご馳走をしてくれるように頼み、共同浴場もせいぜい楽しんでもらうようにお世話してほしいと伝えた。鹿原は了解という声と共に、二つの嬉しいニュースを伝えてくれた。ひとつは、留守を任せている優貴さんが大奮闘だと、北原さんの奥さんからの報告。もうひとつは、その優貴さんからで、集合住宅の近所からボランティアで助けたいと沢山の人が来ていただいているそうだという報告だった。集合住宅の付近には誰も住んでいなかったが、人々の生活の場から山に入って行く入口の道に、「京都盆地消滅大災害被災者集合住宅はこちら」と大きな看板をあげさせてもらった。最初は、疑い深く、白い目で見ていた村の人々も、今日のニュースで京都の異変を知ったようで、看板の下に書かれてあったウェブサイトのアドレスを見て、そのニュースがただ事でないことだと思って来てくれたという。それを鹿原は集合住宅に向かうバスの中で、集合住宅の留守を預かり指揮を取っている優貴から知らされたという。優貴の報告に北原さんの奥さんと山岡先生の奥さんが口を挟んだそうだ。いずれにしても優貴の奮闘が龍行には嬉しかった。 龍行は鹿原に地域の住民の皆さんに感謝を伝えて欲しいという言葉で電話を切ろうとしたが、鹿原が念を押した。 「優貴さんには愛していますと伝えるのですね」 「そんなことは今さらいうまでもない」 そう龍行が言い返した。 「分かりました。あなたを愛しているが、今回の奮闘でますます好きになった、そう伝えます」と言って携帯電話を切ってしまった。龍行は顔をほころばせながらヘリコプターに乗りこんだが、シートベルトを締めると再び緊張した。時計を見ると、あの轟音から何日もたっているように思えたが、まだ二時間もたっていなかった。 「山岡先生、二時間がたちました。そろそろ次の事態が来るように思います。我々がすべき任務が一応完了しましたから」 「そうかもしれない。何しろデータがないもので、どの程度の水がどこの穴か亀裂から漏れだして、これからどう大きくなっていくが全く不明なんだ。御所のことさえ土埃に邪魔されて何も見えなかったから」 「いや、見えました。見えました。とんでもないことです。ぽっかりと穴があいています。深さはここからはわかりませんが、相当深いように思えます」 一番前の席で市内を見下ろしていた林田が叫んだ。 「御所だけが沈没するわけがない。これは単に始まりにすぎないのだろう。御所だけが一枚の岩盤に乗っているはずがないだろうが…」 「いや山岡先生、逆に乗っているかもしれません」 戸山が日本屈指の地質学者に反論した。山岡先生が、少し表情を強張らせたが、それは怒ったわけでなく、ヘリの中で声が聞こえにくかったからだ。戸山は続けた。 「あの明治時代に建てられた平安神宮の大鳥居でさえ、レイラインに乗っているといいます。その意味では、この京都盆地の都は、当時の一流の、あるいは大陸や朝鮮半島から連れてきたその種の超能力者に占わせたはずです。そうすると、四条より南が湿地帯であった名残りから軟弱な地盤で、御所は北から来ている岩盤の端か、それとも一旦切れた岩盤の先にあるマンハッタンのような孤立した岩盤だったかもしれません。ですから、地震にも影響の少ない岩盤を透視した超能力者がここに御所を置くことを進言したのではないでしょうか。しかも京都盆地のど真ん中で、御所を置くにもふさわしい場所でした。そのわざわざ選ばれた岩盤だけがすっぽり沈んだのではないでしょうか」 「ふん、それは面白い考え方だ。レイラインといえば、光が一直線に進むように、聖地を刺し貫くからそう呼ばれているが、本来、光はエネルギーの原基と情報の媒体であれば、御所はそういう岩盤の上に作られたことは想像に難くない。なにしろ御所の真北(まきた)が鞍馬寺で、真南が橿原神宮だったかそのあたりに行き、その直角の線は、伊勢神宮の上に来るというようなレイラインからいえば、御所がその象徴として、天変地異の先駆けとなったのだろう」 「何か、あの穴は不気味ですね。あの轟音が何だったのか、あの激しい震動が何だったのか、そう人は誰でも考えないのでしょうか」 戸山が山岡先生でなく龍行に聞いた。 「それが人間の進化できない大きな原因なのだ。人間は自分の日常の意識が自分の意識の全てだと思っているが、それはたかだか脳の機能の十パーセントに満たない部分でしかないのだ。しかもそれは人間が生物として生きるために必要な働きをするだけの意識なんだ。だからその意識の中で、政治だの経済だの、あるいは理想や夢を描くとしても、それは人間が基本的に必要な衣食住という個人的なものの反映にすぎない。もっといえば、その基本的なものを手に入れるための欲望のようなものが基本にある。だから、人間全体とか、地球全体というようなことがなかなか視野に入らない。もしも人間が基本的な生きる条件を求めるための十パーセントの脳機能を越えて、残りの部分を意識すれば、意識が個人のものだけでなく、人間としての、いや存在としての全体意識の一部にすぎないことがわかる。そこで初めて理想だとか夢だとかが、本当に存在のため、人間のためのものになるのだと思う。しかし、日常生活の狭い意識でしか物事を判断する能力を限ってしまったから、いちいち個人の偏狭(へんきょう)で利害優先の意識で判断し、本当は自分の命を失うという利害さえ見えなくなって、東日本大災害時の津波に多数の犠牲者が出て、そして今、眼下で生きている多くの命が失われてしまうようなことになるのだろう」 「今なら間に合うのに、逃げろ、逃げてください。どうか逃げて…」 まさに祈るように林田が叫んだ。御所の上を旋回して、御所のあった場所の土埃が鎮まるのを待ちながら、そんな話しをしていたが、目は眼下に釘づけになっていた。その視界にやがて恐ろしい光景が見え始め、そのあまりの光景に全員から言葉を奪ってしまった。激しい轟音だとはいえ、ドスンと落ち込んだ御所が、数メートルとか十メートル程度の底に存在すると誰しも思っていたが、土埃と思っていたものは、視界を遮っていたものではなく、まさに奈落のように深くて、見えないようになってしまっていた。 「地獄まで落下したみたいですね」 龍行は自分の体の震えをヘリコプターの振動だと思おうとしたが、体の震えは止まらなかった。 「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の井戸から小野篁(たかむら)が冥界(めいかい)に通った地獄というのは、あんなに深かったのですか。井戸から出入りできるぐらい浅い場所だと思ったのですが」 林田が恐怖を宥(なだ)めるように言ったが、誰もそれに反応するような事態ではなかった。むしろ地層での変化をいろいろと想像していた山岡先生が、意外な口をきいた。 「嵯峨の清涼寺の横の薬師寺境内の井戸からこの世に戻ってきたというから、どこかにその生(しょう)の六道を見つけたいと思うが」 「そうですね。何か救いがありませんと、あまりにも酷(むご)いことになります」 「その酷いことが始まってしまいました。望遠鏡で見ますと東山の山裾に変化があります。北山もそうかもしれません。山を残したままで、少し盆地の内部が沈下しているように思います。あそこ、あそこです」 「カメラを向けてくれますか」 「ああそうだ。神代君、あの赤土は山が残って市内が沈下してできたものだ。カメラを京都駅の南に回してくれるか」 「先生、液状化現象が起こっていますね」 「いや、あれは液状化でなくて、地下の水のレベルに盆地の内部が沈下し始めて、水が浮き出てきたのだ」 「あぁ、いよいよ京都が沈んでしまうのでしょうか」 「おそらく京都の地下に保たれていた水がどんどんさらに深い地層というか、岩盤の割れ目からマグマのあたりまで漏れ出ているのかもしれない。そうなると上空も危ないかもしれない。巨大な水蒸気爆発をするかもしれないからだ」 「東日本大震災の震源の深さは二四キロといわれているから、その部分で亀裂が起これば、徐々にその上の水が吸い込まれていくことはあるのだろう。そうでなくてもたとえば、『熱移動説』という説があって、その説のいうように、地核で発生した高温の熱が、その外側にあるマントル、さらに外側にある地殻などを貫いて、地球表層部に伝わったとすれば、水は一気に蒸発して、水が支えていた部分は沈んで行くから、いずれにしても、京都盆地の下に蓄えられていた水が、下に吸い込まれるか、蒸発させられるかして、蓋のようにのっていた京都市を沈めていくのだろう」 「山岡先生、五条通りに少し段差が出来ました。トンネル付近を除いて、少しずつ沈み始めたようです」 「全体がゆっくりと沈むとなると、出口が無くなってしまう。今ならまだ段差が生じていない場所から逃げだせるのだが」 御所だけが奈落に落ちたが、市内はその落下時の震動が治まると、まるで何事もなかったように思えた。ヘリコプターの上からでもよほどの観察力が無ければ、東山から北山、西山の山裾が点線で切り離されるように山と平地に切れ目が出来ていることには気付かないだろう。 今、じわじわと千二百年が少しずつ沈んで行く。この地に都を造営した時から、宮人はいずれこの地が沈んで行くことを恐怖するかのように、建造物を建て、そして壊し、土をかけ、その上にまた建造物を建てたようで、平安時代から、おおよそ平屋の屋根程度に盛り土がされているそうだ。京都文化博物館の入り口右の地下一階は、平安京造営時の京都の土地の高さだったと聞いた。 少しずつ、すこしずつ沈みながら千二百年を遡(さかのぼ)っているのかもしれない。