2014年6月30日 更新 第十九回 (十) 「人間は諦めた方がいいかもしれない。身内でも説得できないのだから。昨日も街頭で演説していて石を投げられたそうだ。警察が来る前に退散したから良かったもののどうも信じてもらえないようだから」 「これといって信じられる確証を見せられないのも原因ですが、人間って、大変な生き物ですね。目に見えないと信じないのでしょうかね。人を信じるということがどういうことか改めて教えられますね」 「地球が猛烈なスピードで動いているところなんか見えないのだが、それでも地球が動いていることを信じているのだから、やはり教育が大事なのかな」 「カストロが社会づくりの基本は教育だということで、貧しい予算でも教育費をふんだんに使ったのは正しいのでしょうね」 「そうだろうね。幼い子供にビスケットをあげると、周りを見渡して、自分の目に入る人間の数にそれを割って、分けてくれるというエピソードを聞いた。日本在住のキューバ人の女性がそういう行動をしない日本の幼児に逆に驚いていたが、人々が思考をはじめ、自分の考え、あるいは信念、西洋風にいえば哲学を構築する前から、人間がどうあるべきかの教育をすることは大事だろう」 「第二次世界大戦前の大日本帝国の教育が日本列島の歴史の最悪の時代を作ったのでしょうね」 「自分の利益、もっと言えば金儲けしか考えない連中が、地球上で最も危険な原子力発電所を作ろうとし、それの反対を封じ込め、弾圧してきた一方で、信じがたいような膨大な費用で人々の意見を原発賛成に作り上げてきたが、あんなものが安全だと信じる人が存在するのだから、教育というのは恐ろしいですね」 「原子力が素晴らしいなどと、広島、長崎より自分の懐(ふところ)勘定を優先したのが、一九五四年に始まる。その年の国会で、中曽根康弘などが開発研究予算を提出したんだ。五十歳、六十歳以上の人で、原発に賛成なんて人はまず記憶とか悲しみとかの反応回路を失っているか、それ以上に自分の懐勘定を優先するかだろう。しかし、そうした利益にもならないにもかかわらず賛成をしているその世代の人は、第二次世界大戦の思考の枠組みを持ち続けているのかもしれない」 「それに福島の原発事故が起こってからも、まだ賛成している人がいるというのも信じがたいですね」 「そうだ。目の前に繰り広げられている、あるいは目に見えない危険が計器に示されているにもかかわらずそうなのだから、まだまだ目に見えない京都の惨状を訴えるのは難しいかもしれない」 「よくリュウさんはおっしゃっていましたが、職業に貴賤(きせん)はあるし、その賤しい仕事で養ってもらっていて、裕福な暮らしをさせてもらった家族も同罪だということは、人々の大方の考えが幼い頃に家族で形成され、それを大人になってからも変えることが難しいからですね」 「原発関係者の中で、娘が反対して、原発推進から原発反対になった関係者がいたが、あれこそが家族の姿で、自分の夫や父親が原発関係というか電気会社というか、その関連の仕事をしている限り、末代まで祟(たた)るといったのは、原発というものがいかに停止し廃炉にしても末代まで影響するからだ」 「自分の家の井戸の水が枯れても、そういうことは何回かあったと、まるで平然としているのですから、何も変化を見ない人に逃げなさい、などと言っても信じないのは当然ですね」 「だから動物を優先しよう。動物はわかっているから、飼い主に許可を貰う、許可が貰えない時は、一度トラックのそばで鎖を解いてもらって試してもらう。そして犬がどうするかを見てもらって、トラックに飛び乗るようなことがあれば、少しは信じてもらえるかもしれない。それでできればその人も逃げてくれればいいが、それでも納得してくれない時は、犬をくくらないでほしいとだけお願いするより仕方がないだろう」 とはいえ、ウェブサイトでもブログでも相当数の人が、特に京都在住以外の人が心配したコメントを寄せてくれているが、肝心の京都市民の多くは、千二百年生き延びてきただけに、そんなことが起こるとはついぞ思っていないようだ。地震でさえしばらく起こっていないだけなのに、さすが京都だとか、災害が少ないからここに都を作ったのだ、などと安心しきっている市民の多数に、京都消滅の危機を教えても耳を貸すはずがなかった。 龍行は、犬や猫や動物を収容のためのトラックと指令室となっているバスの二台を連ねて町に出かけた。二台が駐車しても交通の邪魔をしない場所を探したが、見つけることは困難を極めた。道路ひとつ満足にないのだから、もはやこの町は限界にきているのかもしれない。早くに自動車乗り入れを禁止し、公共で別の交通機関を作っておけば、ひょっとすると京都消滅も免れたのかもしれない。地球をガイアの女神という限り、京都での人の営みが必ず反映する、そう龍行は頑(かたく)なに信じていたが、このことは誰にも言ってはいなかった。人々の意識、それが地球の地殻さえ動かす、そういう「とんでもない」発想だったが、もしそうであれば、人々の意識が頑強に変わらない以上、京都は消滅するしかない、そうも思っていた。山岡先生の地質学的な発想と全く相反したが、山岡先生に話せば、きっとわかってくれる、そう龍行は考えていた。 その間、バスとトラックの駐車する場所を探しまわっていたが、見つからなかった。龍行は車を止めてもらって外に出た。静かな住宅街で、こんな所でスピーカーで叫ぼうものなら、すぐに警察に通報されるに違いない。美しい生垣の薔薇(ばら)を見上げて、裕福そうな家が立ち並ぶ住宅街で佇んでいた。 「失礼ですが…」 「ハイ」 龍行は、突然声をかけられて慌てて返事をした。 「あのバスに書いていますウェブサイトを主宰されている方ですか」 「ハイ、私が責任者ですが、何か不都合でもありましたか」 その初老の紳士は、家から出てきたばかりと言うカジュアルな服装だったが、顔は今も現役で何か特別な仕事をしているような緊張があった。それを見て、龍行も緊張してしまった。 「いいえ、不都合でなくて、不都合なのは京都ですね。昨日のコンテンツに、人々が意見を聞いてくれないから、犬、猫収容から始める、とありましたが、今日はそれにいらしたのですか」 「もう読んで下さったのですか。ありがたいことです。ええ、人間は信じてくれませんから、動物を先に、と思っています」 「そうですよね。信じるか信じないかは一瞬です。皆さまのお考えをお聞きして、そうかそれは大変だと思う人は少ないと思います。私のように『京都』で検索して偶然にあなたがたのウェブサイトに出会ったのですが、その瞬間にやっぱりこの出会いは偶然でない、そう思いました」 「そういう風に言っていただきますと、本当にありがたいことです」 いつの間にか、全員が龍行の後ろに並んでいた。何か不穏な動きでもあれば、龍行を守るためだったが、全員の緊張が一気に解(ほぐ)れた。 「私も同感ですが、ひとつご提案です。今から、私の持っている敷地に駐車していただいて、この周辺の家々を回って動物を収容してください。私の知っているご近所には私が同行してお願いします。で、もうひとつの提案ですが、私のような方も少なくないと思います。そういう方々のために、トラックを駐車する場所を、とか、町内の集会を開いていただいてほしいとか、そういう要求をウェブサイトに載せてください。きっと多くの人が駐車場の提供をしてくれるはずです」 「そうですか、ありがたいことです。では、その駐車場をお借りできますか」 「その前に実験をしてください。うちのコロ、いやゴールデン・リトリバーですが、家の中で飼っています。そいつがここでどうするか見たいのです。トラックに飛び乗るかどうかですね。おお何と大きな犬、グレイト・ピレネーですね」 「右近左近と申しますが、二匹、いや二人は、犬猫説得要員で、首輪抜けの技術を持っていて、どうしても分かってくれない人に飼われている犬には教えてくれないかと思っています」 「いいですね。さすが、神代さんですね」 「え、まだ名乗らせていただいておりませんが」 「バスが停って二階の窓から覗いていました。ウェブサイトのアドレスが見えましたし、フェイスブックで、お顔は存じておりましたから」 「それはそれはありがとうございます。松井さんですね、表札にそうありますが」 「松井です。私もささやかな工芸の仕事をしていますが、何かお役に立つことがないかと思案していました。ですから、これからは私でできることはさせていただきます」 「ありがとうございます。早速ですが、松井さんは京都以外に避難できるような場所といいますか、家がありますか」 「ええ、娘が兵庫県にいまして、娘の旦那も状況を良く分かっていまして、先週も荷物を取りに来てくれましたから、そちらに厄介になろうと思っています」 「それは良かったですね。では、なるべく早くに移動してください。何か目に見えるようになれば、もう遅いと思います。一気に起こってしまいそうですから」 「分かりました。今夜早速家内を送りだします。ではちょっとお待ちください」 松井さんが家に入り、やがて奥さんと一緒に出てきたが、ドアが開くと、勢いよくゴールデン・リトリバーが飛び出してきて、龍行のひろげた両手に飛び込んだ。ご夫妻はそれぞれが猫も抱いていた。全員が見守っていると、コロは一目散にトラックを目指し、飛び上って開けられていたケージに飛び込んだ。右近左近はぐるぐる回りながら歓迎しているようだった。 「あぁ、やっぱり京都消滅は近いようですね。これで確信しました。今夜、家内を送りだします。で、この猫たちもお願いします。ええ、拾ったのですが、こちらの白黒がパンダ、この茶が虎です。二匹も預かって下さいますか」 首から板をぶら下げて、パソコンをその台に乗せて打ち込んでいた鹿原が近づいてきた。 「えっ、分かりやすいですね。パンダ君と虎さんですね。御住所をお教え願いますか」 「それからフルネームと携帯電話番号をお教えください」 打ち込み終えると、カメラでそれぞれの猫を撮り、すぐさま下の段のプリンターでプリントして書類を作り上げた。 「こちらがコロ君のもので、こちらがパンダ君と虎君です。今後は収容して、協力してくれる獣医の監視下に大事に育てます。もし餌の備蓄がありましたら、それに合わせた物を買います」 「いや、食料とトイレ用品は買ってお届けします」 「では食料だけお願いします。トイレは大丈夫です。犬や猫の気持ちまでわかりませんから、人間が考える快適なトイレで、循環式の水洗があります」 「じゃ、猫さんたちもお預かりして、猫のケージに」 「いいえ、コロと一緒にしてやってください。もしも他の犬とややこしければ、コロと一緒に他のケージに移してください。コロは拾ってきた猫たちの親代わりでしたから」 「ああ、それで安心しました。犬や猫はよほどのことがない限り飼い主と一緒がいいのですが、やむを得ず預からしてもらおうと思いましたが、その関係は嬉しいですね」 「ええ、私どもも、一週間以内に、娘夫婦と迎えに行きます。集合住宅も拝見したいですから。で、この引っ越しの間だけ、お預かり願えればありがたいのですが。それに犬、猫の気持ちを見てみたかったからですが、猫も行きたいようです」 松井さんの奥さんがコロの待つケージに近づくと、待ちきれないように虎が飛び込んだ。右近と左近は新しい客が飛び込んできて驚いたようだが、コロに倣(なら)って、虎を舐めはじめた。松井さんもパンダをケージに入れた。 「あなたのおっしゃるように、動物は危険を察知しているようです。私たちが動かないという気持ちだったら、あんなに喜んで飛び込んでいかないでしょうが、私たちも引っ越しをする、そしてすぐに迎えに来てもらえる、そんなことが分かっているのでしょう」 その日、松井さんのご近所だけでも、多くの人が京都の危機と動物の保護について分かってくれた。どの家も避難場所が別にあるようで、ペット達と一緒に避難を始めるようだった。もちろん全員ではなかった。中にはのっけから馬鹿にして、聞こうともしなかった。玄関先でワンワンと吠える声がしたが、外で鎖につながれていないから、自分で逃げ出せるだろう、そう思って、説得も諦めた。 一人だけ、う~んと唸ってなかなか信じてもらえなかったが、犬で実験することはしぶしぶ了承して、もしもあなたがたの言うことが本当なら、私も避難を考えます、と言ってくれた。そこで、庭にくくっていた柴犬を放すと、犬は一目散にトラック目指して走り、開けたままでも誰も出ようとしないケージの中に飛び込んだ。 「そうですか。うちのマルは人には馴れますが、他の犬には絶対に駄目だったのですが、やはり動物の方がわかっているのですね。分かりました。今夜家族会議を開いて、どこの子供の家に避難するかを考えます。ありがとうございました」 犬の威力は素晴らしい、そう思いつつ、鹿原の作ったデータを見た。 「写真まで撮っていただきますと、有難いですね。落ち着く先が決まれば迎えに行きます」 「ええ、そうしてください。犬は飼い主が一番ですから、ここの危険を理解してくださって迎えに来て下さると、本当にありがたいですし、嬉しいです」 「いやいやこちらこそお礼を申し上げます。息子からウェブサイトを見ろ見ろと言われていたのですが、今夜、じっくり拝見します」 「アドレスをお教えいただければ、マル君の書類も送付しておきますし、今後、様子がご覧になりたければ、いつでも写真でも動画でも生中継でもご覧いただけます」 「えっ、待ってくださいよ。アドレスを聞いてきます」 こうして、ケージにはいろんな犬種が入ってきた。ほとんどが一時的な避難で、やがて落ち着けば迎えにきてくれるそうだ。夕方まで松井さんの案内で多くの家を訪問できた。これが京都中の家でなくても、こうした動きをすれば伝搬する、そう思っていたから、丁寧に、時間をかけて一軒一軒を回った。 「良かった良かった。初日としていい成果だ」 誰に言うともなく龍行はそう言ってバスに乗り込もうとした。