2014年6月25日 更新 第十五回 (八) 「まだまだ人々を説得できる資料が揃(そろ)わないな。早くしないと間に合わなくなるし、助かる人も助からないから」 山岡先生は、地中で起こっていることを懸念しながら、空を見上げて、大きく嘆息をついた。協力を申し出てくれた企業の大きな駐車場に、山岡先生以下、五人が揃って待っていた時だった。 「山岡先生、偉そうに申しあげてもよろしいでしょうか」 「おお、戸山さんか。何なりと遠慮なく。あなたと神代さんは全く同じ考え、いや同じムー族というか、縄文人ですから、我々の間に遠慮はいらない。少し君たちより歳を食っているが」 「神代が、山岡先生が敬語でお話しいただくと、何か申しあげるのが辛くなるって申してましたが、若造が偉そうに言うと思って下さると言いやすいのですが」 「ああ、そうだそうだ。聞く方が偉そうにしていよう。で、何だね」 「確かに懸命に資料は集めております。しかし、それがどれほどの量になり、間違いなくそうだ、と誰もが分かったとしましても、いやいかに大量のデータが集まっても、誰もがわかることはありません。それにその意味では時期的なこともそうで、間に合うか間に合わないかは、いずれもその個人の問題でして、全体として、間に合う、間に合わないというような時間的なことはないと思います」 「なるほど、神代君と同じことを言おうとしているのだね」 「たぶんそうだと思います。彼とは石垣島の岸壁で出合って以来四十年、ずっと螺旋(らせん)状につきあっております」 「螺旋状とはどういう付き合い方だね」 「議論とか討論は必要ではなかったのですが、彼に何かを聞いて、そうかそうだったのか、それじゃこうか、と彼に言えば、ああ、そういうことか、それじゃ、こうですね、とひとつの問題を昔風に言いましたら弁証法的に進化させていくといいますか、発展させてきました。どちらがどうというわけではないのですが、後の三人も一緒です。それぞれがそのように、また全体と個人がそのようにやってきました」 「なるほど、それが組織なんですね。昔、ある詩人が『火のあるところに組織なく、火の無いところに組織がある』といったようなことを言いましたが、その組織だと、常に燃えていることが出来るのですね」 「その詩人は雁さんですね。いつも神代に聞かされています。あいつの師匠みたいな人ですね。いろいろいわれていますが、神代は彼の神髄(しんずい)を大事にしています」 「出会うべくして出会う人は、同じ精神の傾向があるというか、あるから出会うのだろうが、本当に君たち五人はそれぞれに面白いし、貴重な存在だが、それ以上にその組織と言うか五人の動き方が素晴らしい」 「そこんとこはまたみんなとお話しさせていただくとしまして、偉そうに申しましたように、山岡先生が嘆かれることはないと思います」 「わかった、わかった。資料を膨大に積み上げても、それでも考え方は変えないというのは、今度の福島原発事故と人々の原子力発電への考え方を見ても良く分かることだ。それに早い遅いはその人の気づきの問題で、どんなに待っていても気付かない人は気付かないのだろうし、その人まで説得するのは、神でさえ諦めていらっしゃるのだから、しなくてもいいということだね」 「そうです。すでにあのアクセスの少ない『京都が危ない』というウェブサイトでも、分かる人からは連絡を貰っていますし、京都以外の人々から、お役に立てればと、ご支援さえ頂戴しています。気付く人は、気付く媒体に出合います」 「そうか、その一人でも多くの人に気付く媒体さえ作れば、我々のやるべきことは終わるのだね」 「ええ、そうです。神代が言うには、もちろん、神代を借りなくても私たち全員が思うのですが、犬や猫は別として、牛や馬、豚や鶏を家畜として飼育するようなことをしなかった縄文人としては、勝手に自由を奪って囲い込んで、それを危機が来れば見捨てることが許されないと思っています。種々、理由はあると思います。また大量の植物も無理かと思います。ですが、人間が飼ったもの、しかも自由を奪ったものは、人間のように自分から逃げだせないのですから、どんな理由があろうと、どう弁解しようが、先に逃がすべきです。といいましても、それでも政府の勧告や強制力でも動こうとしない人がいるのですから、もはやどうしようもありません」 「そうだね。先般、神代君が書いた絵コンテ見て笑ったよ。あの犬猫収容専用トラックを作るのに、人間を運ぶ手段は作らないのだから、神代君の考えが良く分かるというものだ。人間は自分で逃げなさい、と言いたいからだろう」 「料理人鹿原の持っているチームが、今、面白いことをやっています。もちろん神代が鹿原に一言言ったことを鹿原が自分のやわらかものチームでやろうとしているのですが」 「なんだね、その鹿原チーフが率いる『やわらかもの』チームというのは」 「鹿原は料理人です。神代が、いかに精魂込めて作り上げても、その作品は消えてしまうことでしか評価されないから、料理人は特別の芸術家だというのですが、そうした料理や動物など生きているものなどを主として扱えるチームです。先生の地質学的な分野とは全く違う生き物などを扱うチームです」 「それは面白いね。で、そこで何をやっているのだ」 「まず、警察犬や盲導犬の訓練所で、レベル以下だとされた犬たち、そしてボランティアや心無いブリーダーが放置していた犬たち、猫たち、それに保険所で処分されようとしている犬や猫の中で、鹿原のメンバーになついたものを相当数集めてきました。そして、先般山岡先生のおっしゃった場所で建設が進んでいる新集合住宅の場所に、プレハブを建てて、この犬猫を訓練しています。もちろんその種のプロはウェブサイトで呼びかけて参加していてくれます」 「えっ、何の訓練なんだ」 「いずれお分かり頂けるでしょうが、犬は首輪をはずす訓練といいますか、首抜けの訓練。猫はただ大事に育てて、呼べばすぐにやって来るようにしています。犬猫大脱走作戦です」 「そうだな、この町中には牛や馬を飼っている人はほとんどいないだろうから、犬猫中心でいいのだろうね。昔は右京区の段町あたりで牛など飼っていたのだが」 「そうですか、信じがたいですね。牛や馬はいない代わりに、猿、鹿、猪、穴鹿、狸、それに無責任な人が捨てたアライグマ、ヌートリアなどが住んでいますが、連中は自分で危険を察知して逃げるでしょう」 「あんなに小さな脳味噌でもわかるのだから、人間は実に恥ずかしい動物なんだろうね」 「話があっちこっちに飛びましたが、まだ今日は大丈夫でしょう、そう思っていますからこんな京都のど真ん中で集まろうとしているのだと思いますよ」 「今日は大丈夫でしょうか、今日がその日じゃないですか。ちょっと困ったことが起こっていますよ」 「おお、山上君、お疲れ様。どうでした」 「その前に神代節を一節。ここに居る間は大丈夫です。ここから居なくなったら京都が危ない時です。もしもそれが察知できず、無意識に分かって行動していなかったら、それは自分が選ばれていないのだから、諦めるように」 山上の言葉に山岡先生はうなづいていた。 「神代君なら言いそうなことだ」 「山岡先生、悪口は遠くで言って下さい」 「おお、神代君、お疲れ様」 「山岡先生まで、お疲れ様は無いですよ。いつ出会っても『お早うございます』『お疲れ様』は放送業界から始まったと思うのですが」 「そうかそうか、だんだん君らに影響される。この年で若者に影響されるのは私が柔らかい証拠だと自画自賛。妻がいないところで」 「告げ口しておきます」 会話の終わりに林田が飛び込みながら言った。 「今度私が料理を作る時に、口がひん曲がる苦いものか、舌が焼けつくような激辛の物を作って、そういう口の聞けないようにしますよ」 「おお、鹿原君。君たちも面白いことやっていますね」 「ええ、不思議です。素晴らしく良く学ぶといいますか、連中は自分達の役目を知っていますね。それに比べて人間は一体どうしたのでしょうね」 「全員揃いましたが、全員が困った存在である人間について意見が一致したところで、その困った人間を一人でもわかってくれるような資料はありましたか」 「そうそう神代節で止まってしまいましたが、私、文科系人間が、地下について調べるという、とんでもないことをしております。その文科系の私でも、ちょっと驚愕の事実が起こっています。あくまで極秘にお願いしますと、それぞれの旅館が同じようなことを言いました。極秘にすることを条件に話してくれました。まずは盆地の中央とでもいうべき京都壬生(みぶ)の温泉は千メートルを掘削していますから、当然といえば当然で、全く枯れました。平成十五年に温泉が出たと評判になった嵐山の温泉は地下千二百メートルまで掘っていますから、こちらももはや何も出ないそうです。桂にある温泉は、嵐山よりさらに盆地から離れていますが、千六百メートルと深く掘削した分だけ影響があるようで、ほぼ温泉は出なくなりました」 「なるほど、今日がその日であってもおかしくないと山上君が言ったのは当たっているかもしれないね。神代君のご託宣を信じるよりしかたがないね」 「山岡先生まで何ですか」 「いや、先ほど言っていたのは、今日がその日ならここに居ないし、ここに居ない日がその日だろうし、それが察知できなくてここに居たまま地中深く吸い込まれるのは、それはその程度の人間だとあなたが言ったことをおっしゃっていらっしゃるのだ」 戸山が解釈した。 「私一人では、心もとないのですが、これだけの人間がここに居ますから、今日は大丈夫でしょう。そうそう、ついでといっては何ですが、例の特注のバス数台は間もなく納入されます。それにあの新集合住宅はこの週末に受け渡しの予定です」 「ちょっと待ってくださいよ。あなたが北原さんの所に出かけたのは、三週間ほど前じゃなかったのですか」 「ええ、大枚弾んで、秀吉の『三日の城普請(ぶしん)』じゃないですが、昼夜交代制の突貫工事でやってくれました。それに元々組立工法ですから突貫工事でなくても工期は早いのですが、それが仮設住宅の大きな条件だとも思います」 「建物がそんなに早く出来上がるとなると、いよいよ近いのですね」 「そうだと思う。急がないと」 「はい、状況はどんどん変化しています」 市内の地下水の変化を調べている林田が口をはさんだ。 「あなたが調べていてくれる地下水もさらに変化しているのだろうね」 「はい、豆腐屋さんに続きまして、名水といわれているところをあっちこっち調べましたが、中心部に行くほど枯れていますし、周辺部でも首をかしげるほど水量が減っています。これらは間もなく枯れるのでしょう。ただ、個人のお宅は誰も話してくれませんでしたが、話してくれない、ということは良くないということであれば、中心部は全滅ですし、周辺部も時間の問題です」 「御所の東側の梨木神社の染井の名水はどうかな。口当たりがまろやかで甘ささえ感じたが」 「もう味わえません」 「そうか、覚悟はしていたが、残念だな。染井というのは、宮中の染所として使用されていたのだが、この井戸水で染め物をすると綺麗に染まるといわれていた。工芸に水はつきものだが、これで水と共に染めものも危うくなってくる。じゃ、京都三名水の他のものはどうかな」 「御所の県井(あがたのい)ですが」 「あれは長く枯れたままだったが、いつか復活したはずだったと思う」 「ええ、一九九七年に環境庁の御苑管理事務所が復活させ、ポンプでくみ上げていましたが」 「汲みあげていましたが、という過去形だとすれば、もう出ないのか」 「はい、ポンプを強力なものにしたそうですが、駄目でした」 「残るは、醒ケ井(さめがい)だけだ。あそこは商家の井戸で、千利休も使ったという水で、一時は枯れていたと聞いたが」 「ええそうです。で、二十年ほど前に掘り直して出るようになったのですが、今は全くでません」 「梨木神社が御所の東側。県井が御苑の中、醒ケ井が四条堀川となると、中心部は全滅だね。周辺部はどうだろう」 「清水寺の音和の滝も駄目か」 「はい、もはやちょろちょろ出ている状態です」 「そうすると祇園の龍穴と繋がっているといわれている神仙苑の池にも何か異変が起こっているのだろう」 「ええ、水位が観察に行くたびに下がっています。もちろん宮司さんなんかにはその理由を言ってないのですが、最初の日に、池の水量に変化はありませんか、と聞きましたら、宮司さんいわく、ここは平安建都と同時に作られた場所で、最初は南北五百メートル、東西約二百四十メートルもあったのですから、千二百年の間にはいろいろありました。池も縮小されました。ですから、現在、水位が下がっていても、地下鉄工事や地下水の使い過ぎなどの現代的理由で池の水も減ってきたのではないですか、と別段気にもとめていらっしゃいませんでした」 「歴史が長いと、少々のことでは一喜一憂されないところが素晴らしいのでしょうが、今回はその千二百年をぶっ飛ばしてしまう大惨事だとは予想されないのでしょうね」 「そうか、ありがとう。いよいよ始まっているのですね」 「はあ、井戸水に始まり、山上が調べました市内の温泉、そして私が調べました名水と明らかに兆候があります。水、水、水ってそればかり考えていたせいか、鴨川の水量も減っているように思います。気のせいだとは思いますが」 「気のせいではないだろう」 山岡先生は、鴨川の異変さえもその兆候だと言わんばかりに言った。 「確かに気のせいではないかもしれない。桂川をほぼ毎日歩きながら眺めているのですが、川上から流れてくる保津川からの水量は、川下りが増水時に中止になること以外には、渇水で中止になることはあまり聞きませんから、そんなに変わらないと思うのです。で、ひとつめの堰(せき)があって、そこから大堰(おおい)川になって、すぐにもうひとつの堰があり、そこから桂川になりますが、そこにある堰の周りの水量が少ないように思います。堰を歩いて渡ることなんかはなかなかなかったのですが、最近は夏の渇水期でなくても観光客や地元の人が渡っているように思います」 「そうすると、渡月橋の下流で水量が減っているのかもしれないな」 「そうそう鳴滝という所がありますね」 「あるある。その滝の音が凄い日があって、寺の和尚に相談したら、和尚は村人全員を高台の寺に集めたそうだ。するとその夜に大洪水があり、村が全壊したのだそうだが、そのために小さな滝にもかかわらず『鳴滝』という地名がついたのだが、そこの滝の水は上流からくるから変化はないだろう」 「確かに滝は変わらないそうです。ただ、その川を下流に辿って行きますと、次々に川が合流し、天神川になって市内を流れて、吉祥院で桂川と合流するのですが、西京極あたりから水量がどんどん減っているので、桂川にはほとんど水が注いでいない状態です」 「水も漏らさぬというが、それが一億年前にできた岩盤で水を通さなかったのだろう。しかし、そこに何か異変が起きているのだろう」 「それはありえることですか」 「いくら頑強な岩盤といっても、地球の持っている膨大なエネルギーの前にはひとたまりもないだろう。それに大地震が頻発する周期に入っているとなると、いかに一億年前から不変だとしても、何らかの影響は受ける。たとえばその岩盤がどこまで一枚岩でできているかわ分からないが、たとえば、岩盤そのものが何の亀裂も生じなくても、プレートが動くように、全体が度重なる地震で動いたとしよう。げんに今回の東日本大地震後、一か月で京都府は北東に十センチ程度動いたというから、盆地の底にあった岩盤が少々東北に動いて、隙間が出来たのかもしれない。岩盤そのものに亀裂など出来ていれば、とっくに京都は沈んでしまっている。だから、何か少しずつ漏れるような小さな隙間ができているのだろう」 「そうか、それはまるで『はてなの茶碗』か」 鹿原が呟いた。