2014年6月23日 更新 第十三回 (七) 「山岡先生、吉野がいいですか」 「確かに、大峰山もあることだし、役行者(えんのぎょうじゃ)さんのお膝元だし、悪くはないのだが、京都から遠いだろう。危機迫ってから日帰りは難しくないか」 「では、伊勢方面はどうですか」 「海洋民族の末裔としては、そちらがいいように思うね。ムーから来たのだから、ムーに向かって礼拝出来る場所がいいかもしれない」 「なんか不思議ですね。山岡先生から、役行者、海洋民族の末裔、ムーの子孫のような言葉が次々に飛び出してくるのですから」 「いやいや、君の著作のおかげで、私もすっかり神代教になってしまった。君の先祖が大峰山の行者だったことも、我々、といっても話さずともわかる連中に限るが、しかも経済的な活動を得意としない連中が海洋民族の子孫であることも、もちろんムー大陸から渡ってきて、素晴らしい縄文文化を作ったことも、全て、神代龍行の著書が教えてくれた」 「それはそれはもう書き手冥利に尽きます」 「そこは、君、作家冥利に尽きます、と言わないから、君は駄目なんだ。遠慮も謙遜もし過ぎは醜いよ。もっと自己主張と、自信持って」 「あれあれ、これは参りました」 「偉そうに言っているが、実は妻に教えられたのだ。妻こそ熱心すぎる神代教で、その神代龍行と一緒の思いであることで、私を尊敬してくれるという有り様なんだよ」 「申し訳ないことです」 「おいおい、それがいかんのだ」 「どう言えばいいのでしょうか、というより、山岡先生、伊勢方面はどこにすればいいでしょうか」 「実はもう調べてあるのだ」 「山岡先生、ほとんど同じことを考えていただいているのですね。私も伊勢方面だと思っていました」 「先般の資金で、巨大な船、まさにノアの方舟までは作れないだろうが、それでも、伊勢からさらに鹿野に回り込んで、最終的に駄目になれば、海に戻ればいい」 「海に戻ればいいという表現はいいですね。では、その先生の候補地としましては、どこがいいのでしょうか」 「ずばり、ここだ。海にも近いが高台で、ここまで津波が襲うようであれば、日本は沈没する。ここは岩盤で、活断層の上ではない。それに浜岡原発は二度と運転しないだろうから、敦賀から百六〇キロはあるから、まぁぎりぎり我慢のできる場所だ。さらに言えば、琵琶湖が二倍になるような事態が生じても、ここは山系も地下の地盤も違うから引きずり込まれることはないはずだ」 龍行は、山岡先生とやれる幸せを感じた。いやそれも神様がことをなすためなのだろうと嬉しくなってもいた。 「では、早速、現地に出かけて、手配してまいります」 「任せた」 龍行は山岡先生が選んだ場所に出かけて、その土地が誰のものかを調べ、地主の所に出かけて買いたいと申し出た。地主は突然の申し出に困惑していたが、それでも電気もガスも水道もない場所で、地面のすぐ下が岩盤であるから、痩せた荒れ地で、水田にも田畑にもできないために、予定より大幅に安い金額で購入ができそうだった。地主は即決する龍行を不審に思ったのか、買って何に使うのか、と聞いてきた。山岡先生の名刺は効果絶大で、この高名な先生と御仲間で別荘の集合住宅のようなものを建てるつもりだと言えば、すぐさま了解して、銀行の口座名を教えてくれた。 その足で、北原老人を尋ね、その売買契約などを御抱(おかか)え弁護士と会計士などにお願いした。その帰りに電話で約束を取り付けて、建設会社の京都支社に出向いた。その建設会社は、龍行が阪神淡路大震災直後に被災地を歩いて、その会社の住宅だけが無傷だったことや、自宅もその会社のものだったこともあるが、耐火性、防水性、耐震性、耐熱性に優れた軽量気泡コンクリートパネルの軽量鉄骨の住宅だということと、工期が短いことが決めてだった。 相手をしてくれた支社長は面喰っていた。突然やってきて、大きな注文を何の躊躇もなくやってのけ、しかも自分の会社の建築物に熟知していたことだ。支社長は龍行の渡した名刺を何度も見直していた。龍行もその土田と書かれた支社長の名刺を見ていたが、龍行はすでに以前からこの建設会社のことはウェブサイトで調べ、また電話もしていたから、この会社については熟知していた。そして龍行は支社長の困惑を拭(ぬぐ)うために、昔、今はビッグになっているタレントと、住宅展示場を舞台に一軒ずつでいろんな構成のテレビ番組を作ったことを話した。その時に、各会社のモデルハウスの特徴などをそれぞれの会社からレクチャーを受けたこと、そしてその中で最も優れていると判断して、自宅を支社長の会社で建てたこと。さらに当時関わってくれた社員が、今では各地の支社長になっていることと、今でも年賀状の交換はしていることなどを話した。支社長の困惑は感動に変わり、満面の笑顔で言葉つきまで変わってきた。 「わかりました。全力をあげて取り組みます。どのようなものを建てればいいのでしょうか」 「先に支払いについて申しあげます。ここ数日で、工事を開始しながら見積もりを作ってください。しかし、見積もりが工事の種々の事情や途中変更で見積もりを超えても支払います。ですが、その見積もりの三分の一を手付けにして支払います。しかし、現場近くに住宅もないですから、もしも昼夜ぶっとしでやっていただくのでしたら、その割り増し分もお支払いして、その総計の半分を見積もりが出来ましたらお支払いいたします。もちろん御社の口座に」 「そんなありがたいことでしたら、昼夜ぶっとおしで短期間に完成させていただきます。では地鎮祭などはどうされますか」 「いや、すでに済んでいます。すぐに基礎工事から始めていただいて結構です」 もちろん今日決めたばかりで地鎮祭などやっていなかったが、今回の全ての動きは神の思し召しである以上、あの土地は神の手配であるなら、むしろ地鎮祭をして、神様の意志を無視するようなことはしたくなかった。 「で、具体的な話ですが」 「ええ、それを伺って急ぎ設計図を書きますから」 「明日から工事に入っていただければありがたいのですが、もちろん、見積もりが出来次第に半分を支払いますから」 「では、概略を聞かせていただけますか」 「まずは、ここのこの土地です。北はこちらで、道路はここです。軽量鉄骨が駄目なら重量鉄骨でお願いしたいのですが、五階建てで、南に向かって東西に細長い長方形でお願いします。一階はここにメモしてあるような各種の部屋。二階、三階、四階は個人の住宅、五階は創作室になります。屋上には、屋上菜園やジャグジーの風呂などを作ります。いや、太陽光パネルは作りません。その代わりに後日、持って参りますフリーエネルギーの発電機を屋上に置きます。ええ、小さいものです。その設備室をエレベーター室と一緒に屋上に作ってください」 龍行はそう概略を述べると、一階は駐車場になる低い天井の上にあり、そこには、エントランスルームと巨大なリビングというか、住人やその関係者が全て入れるほどの巨大居間がある。駐車場の一角の南側には、いつでも動物を飼っておけるように、部屋に入れられない状態の動物を入れておく巨大な檻と、動物を洗うシャワーなどの設備と、餌の備蓄場所があった。駐車場といっても、全住人が車を持つのでなく、最低の数の車を共同で使うようにする。自転車も同じで、全所帯から最低必要台数のみ常備する。そして駐車場の奥にはエレベーターがある。高床式の一階だが、そのエントランスルームの前までスロープがあり、車を横付けにでき、そのスロープは、西側の橋で二階へのスロープになり、それがビルの北側を通って、三階までスロープになり、三階では出られずにそのまま四階に登って、北側を通り、屋上に上る。屋上からは、逆に三階まで下り、三階のビルの北側を通って一階まで降りる。こうして軽自動車クラスなら屋上まで登れるようにした。 建物の中だが、巨大な居間は集会やちょっとしたイベントにも使えるような工夫がしてある。その隣に食堂と厨房があり、それは申し込めばいつでも昼食と夕食を取れる場所にしたい。もちろん玄米菜食、出来れば玄米と日本の伝統的料理になる。玄関の西側には医務室のようなものと日常品のストックルーム、そして洗濯室がある。日常品については必要なだけ自由に持ち出せるようにする。 二階の多くはワンルームで、病院の個室に似た作りになっている。それは介護が必要になった高齢者をこちらに移動させて住まわせるためで、また家庭を持たない人にも気楽に住めるようになっている。ある程度大きくなった子供は、両親の許可があればここに住むことが出来る。住民の来客のゲストルームにもなる。家族の部屋は、寝室二つ、簡単な台所とバス、トイレと押入れである。実にシンプルであり、それ以外の全ての住宅で使うもので、プライバシーに関係のないようなものは、全て共同にするために個人の占有空間は少なくて済む。バス・トイレや台所などからの排水は循環式で水に戻り、洗濯や散水に充分利用可能である。南北に風が吹き抜けるように窓があり、内部もほとんど間伐材(かんばつざい)などで作るために、最低限の冷暖房で済むし、出来る限り共同の居間といわれている大きな部屋でできることは、そこでやる。そうすれば個々の部屋の冷暖房は少なくて済む。もちろん各部屋が個々に冷暖房設備を持たなくてもいいようにはしている。全館冷暖房完備で、各部屋での調節は可能にする。電話は無いが、エントランス・ルームとの通話は、インターホン的な通信装置と携帯電話でできる。しかし、創作を重んじたり、個人の生活を重んじるために、その通信機材で緊急以外は連絡不要とか、いつでもお呼び下さいというような個人個人の連絡盤がエントランス・ルームにある。 エントランスルームは、もちろん受付であり、力仕事などが苦手な高齢者や身体障害者の住人が受付業務を担当し、郵便物や宅配便の預かり、訪問客への対応などをやる。館内の各所にある防犯カメラのモニターや種々の建物情報の管理にもあたる。それに急な雨などを知らせることも役目の一つだ。 五階は、図書館のような資料室と小さな創作室と大きめの工作室が幾つか並ぶ。そこは原則的に月きめで借用し、住民の理解さえ得られれば長期間の占有も可能である。自宅で仕事をしたいが、邪魔されたくないというような創作者や思考者向けの部屋が並ぶ。各部屋は一体型のバストイレがついているから、トイレで熟考することも可能である。 屋上には、インフラが駄目になっても大丈夫なように、というより最初から電気もガスも水道も敷設されていない場所だから、エネルギーはフリーエネルギーで作る。そのシステムについては詳述を避けるが、小さな設備で、三十や四十、五十所帯が使うエネルギーは作れる。そして水だが、山岡先生の選んでくれた場所は、なだらかな里山の麓で、山からの川が敷地内を流れて伊勢湾に注ぐ大きな川に繋がっている。水道として使うに充分な水量であり、敷地より上には何も無いために、飲料水としても適しているはずだが、水質検査をし、駄目でも巨大な濾過装置をつければいいと思っていた。雨水も逃す手は無く、屋上や各階のベランダに降り注いだ雨は集められ、非常事態のために作る池に備蓄しておく。そこは家鴨の遊び場所になるはずである。屋上は雨になれば自動的に屋根の下に入る洗濯物の干場と、ジャグジーの巨大な風呂と、屋上庭園ができる。 駐車場といっても、数台の車しか必要がないから、地上と一階の間の空間は残る。そこに伝統的部屋と名付けた大きな部屋があり、そこは縄文字時代から一九六〇年代までの日本列島の生活が再現できるようになっている。それは非常時の利用と訓練、それに暮らしを楽しむという先人の知恵を学ぶためでもある。トイレだけはウォシュレットで、それと背中合わせに作るトイレは、外で畑仕事などをしていた人がそのまま使えるトイレで、全体をいつでも水で流せるシステムになっている。風呂は薪(まき)で焚(た)く五右衛門風呂と外からも入れる巨大な共同浴場を作る。もちろん男女別ではあるが。部屋の中央には巨大な囲炉裏があり、周りは全て伝統的家屋を思わせる内装である。 もちろん全館バリアフリーであり、小型車なら各部屋の北側の通路を通行できる。そして犬猫などはこの北側の通路を通って敷地内のどこにでも出かけられるし、各部屋に同居することもできる。 龍行の説明にいちいち頷(うなず)きながら、支社長は次第に真剣な顔になってきた。そして龍行が何事かが起こるために出合いと人脈が自然にできるという思いを証明するかのように、支社長は言った。 「神代さん、これは被災地の仮設住宅からもお考えになっていませんか」 「と言いますと」 「分かっていらっしゃるようですが、我社を信頼していただくために、敢えて釈迦に説法をさせていただきます」 「釈迦に説法はもったいないです。同じ考えであれば素直に同意します。違っていればそれも申します」 「わかりました。私も今回の災害をできる限り観察していたのですが、ひとつに全てを失った人が最低限に必要な空間は何か、ということ。そしてそれ以外は本当は人間が生きることに無駄ではないか、ということ。二つ目にひとつのお握りを二人で分け合った精神が復興と共に消えていくとすれば、あまりに犠牲が大きすぎます。やはり分かち合い、すなわち相互扶助の精神こそが芽生え、またそれで生き延びた気持ちで仮設住宅に入ってもらうとすると、共同できるものは共同すればいいので、個人個人がやれ自家用車だの自転車だの洗濯機だのと持つ必要はないと思います。そうしたものを共同に持つことで、災害の時の分かち合いを忘れないようにすべきことが二つ目です。三つ目に、地域のコミュニティがたまさかコンミューン状態を作っていました。そして同じ地域の人が同じ場所に住みたいという強い思いがありました。今、神代さんのお考えの共同住宅にはこの三つが満たされます。相当数の所帯でも、この建物を幾つも建てればいいのですが、それは戦後、各地に出来た団地とは同じようで全く違います。あれは個人や家庭が独立して生きるための、あるいは最近では孤立して生きるためのものですが、神代さんのお考えの集合住宅は、人間がひとつであるということ、そして偉そうに言わせていただくと世界の一切のものはひとつである、ということが基本になり、それの生活での実現です。その上で、意識といいますか思考といいますか感情といいますか、いや人間は独立した個人であるという間違った認識を持たないように生活します。本来は、人間も生き物も大地も空気も全てひとつです」 龍行は支社長の顔が次第に神々しくなってきたと思った。だが、その口調はむしろ静かで確信に満ちたものだった。支社長が話し終えると、龍行は何も言わずに手を出して握手を求めた。支社長は両手で握り返した。 「ここに同志を発見しました。いずれ戦友になります」 「そうですか、間違いなかったのですか。そしてそんなことを分かっていただけるのがお客様というのは、二重三重にありがたく、感動です」 「では、私もこの集合住宅をなぜ急いで建てるかの説明をしなければなりません」 「ええ、お伺いしたいのですが、もうこんな時間です。たぶん夕食は召し上がっていらっしゃらないでしょうから、私が一献差し上げて、そこで聞かせてください。ええ、仕事は優秀な部下がいますから、今すぐにスタートさせます。そうですね、三十分ほどお時間をいただけますか、その間に仕事の手配を済ませます。そして御一緒致します」 「分かりました。待たせてもらいます。というより私も聞かせていただけますか」 「ああ、良いですね。間違っていれば訂正していただけますし。どうぞどうぞこちらに」 支社長は秘書とおぼしき女性を呼んで、全員に集まることと、各人に食べたい物を聞くこと、今夜から仕事が出来る人と、帰りたい人を聞いてほしいことを伝えた。また帰りたい人はそれをお土産にできるような物にするように、と伝えた。秘書が出前の店のメニューを持って支社長室を出ようとすると、支社長は呼びとめて、今夜は、そちらではない、来客用の「ごっつお」の方にするように伝えた。彼女の顔がほころんで、返事のテンションが上がっていた。「ごっつお」なんて言うところを見れば、彼は京都出身、あるいは関西出身に間違いない。そう思うと支社長の発言に龍行まで嬉しくなっていた。支社長に促されて大きな会議室に入った。この支社の人間にしてはちょっと多い人数が座っていた。支社長の到着と共に全員が立ち上がった。支社長は、龍行を社員に紹介した。 「この人は友人というか私の同志というか、そういう人で、この人から面白い、しかもどでかい注文を貰った。明日には半分のお金を入金して下さるのだから、間違いない極上のお客様だ。神代龍行さんです」 「よろしくお願いします」と一斉に声があがる。 「あの、神代龍行さんって、『京都が危ない』というウェブサイトを主宰されている作家先生じゃないのですか」 「誰や、今の声は、おお辰巳君か」 「ありがたいです、私の少ない大事なファンがいて下さった」 「それじゃもう神代さんの説明は後程辰巳君が皆にしてやってほしい。神代さん、支社の社員の他に本部から設計担当、施工担当など責任者を呼んでいます。今、会釈をさせていただいている連中です」 「それは手回しのいいことですね」 「お電話をいただいた時点で、これは何かある、そう思いまして、大阪に依頼しました」 「素晴らしいですね、やはり同志です」 「では、松井君が聞きまわってくれた食事が届くまでに、ざっと仕事の内容と手順を話しておく。今、配ってもらっているものが、神代さんのお考えの建て物の概要に、私がメモをしたものだ。で、工事は急いでいる。家庭のある人は、今日は帰ってほしいし、家庭がなくても約束などある人は帰って結構。しかし、急ぎの仕事なので、今夜から取りかかってもいいという人は始めてほしい。大阪班の人も、残ってもいい人は残ってもらって、いい時間までは働いてもらって、あとはこちらで手配したホテルで眠ってもらって結構。明日からも同じで、昼夜別なく、曜日に関係なく仕事は進める。しかし、一切強制はしない。そして、夕方六時から残業手当、そして十時以降明朝九時までの労働は深夜徹夜の特別手当を出します。時間を自己申告してほしい。深夜手当は弾むつもりである。もちろん今日はすでに六時を回っているから、全員に残業手当を払います。松井君、あなたもですよ。皆さんの時間管理をよろしくね」 どよめきが起こっていた。あちこちで私語が交わされていたが、支社長はその間、言葉を挟まなかった。 「では、見てもらえば分かってもらえるはずだが、三つのコンセプトを言っておく」 そう支社長は先ほどの話をし、概略を話し始めた時に、入口に出前の声がした。松井さんという女性が走っていった。