2014年6月19日 更新 第十回 「この風もなくなるのか、それとも風はどうなっても同じように吹いているのだろうか。ところで、二つ目というのは何なのだ」 「はい、二つ目は、残念な調査です。その調査の詳しい資料はまたいずれご覧いただくとして、『パワーか、フォースか』という本を著したデヴィッド・R・ホーキンズという人が言っていることですが、『ほとんどの人たちは自分の人生経験を、元から持っていたエネルギーフィールドの中で、違う形で表現しているに過ぎ』なくて、その結果『人々が積み重ねる人生の諸々の選択は、結局自分たちの意識のレベルを低下させていることが多い』ということだそうです。ですから『結果として意識のより低いレベルに私たちを閉じ込めてしまう「信念」であっても、それを捨てるくらいなら、死ぬほうがましだとほとんどの人々が思っているよう』だというのですから、その人を我々がどうこう出来ることはないのだと思います」 「それで命を落とすことがあっても、考え方を変えようとしないのか。だから、神は無慈悲のように思われる選択をされるのか。人間とは業(ごう)の深いものなんだな」 「山岡先生、話せばわかるという言葉がありますね」 「そうそう、民主主義の根本のようなことでもあるのだろう」 「でも、話しても分からないといいますか、分かる人は話さなくてもいいと思いませんか」 「そうだな、議論百出とかいわれるが、ああいう場でろくな意見はでないし、良いところにまとまることはないから、そうなのだろうね」 「そのことで、あ、ちょっと失礼します」 話し始めて携帯電話のマナーモードが起動したことがわかり画面を見ると「林田」と出ていた。山岡先生との話しの途中だったが、電話を聞くことにした。 「噂(うわさ)をすれば何とかで、話さなくても分かる男から電話です」 「それじゃ緊急かもしれない。私はいいから聞いて」 「はい、ありがとうございます。林田さんか、お疲れ。ええ、今、山岡先生とお話しているのだが、先生いわく緊急かも知れないから電話に出ろとおっしゃっていただいたので…うん、おお御苦労さんでした…えっ…本当か…やっぱりね…データ送ってくれるか、山岡先生にもお見せするから。うん、ありがとう、それじゃ夜にゆっくりと。いずれ山岡先生に紹介するから」 「うちで夕食を食べなさい」 「聞こえたか…山岡先生がそう言ってくださるし、素敵な奥さまに会っておいた方がいいから…うん、うらやましいかも…わかった…では後ほど。ありがとう」 携帯電話を閉じて、龍行は「ふぅ」と大きくため息をついた。山岡先生は、すぐにでも聞きたそうだったが、龍行の発言を待っていた。そういう呼吸ですらいちいち言葉に出さなければわからないのは、もはや仲間とか同士とか友人とか呼べないに違いない、龍行は何から話すべきかと整理しつつそう思った。 「山岡先生、まず今の男のことは後でお話しますとしまして、彼が伝えてきたことは、この罅が何であるかを証明する出来事が起こりつつあるという報告です。もちろん彼は壁の罅についてはまだ知りません。ただ、電柱の話をしましたら、勝手に調査に行ってくれました。先生には申しあげていませんでしたが、彼がわざわざ沖縄から来てくれてもう一週間になります。そして彼は、京都、水、地下水、井戸と連想ゲームのように繋いで、まずは最も古いと思われている錦市場の井戸から調べてくれました。あの場所は、今さら申しあげるまでもなく、平安時代から地下水に恵まれ、魚や鳥の保存に適していたといいます。そして当然市場のようなものがありました。応仁の乱などで衰亡の危機はありましたが、豊臣秀吉などによって整備され、今日に至っています。もちろん、その誕生と繁栄と今日までの持続したことの原因は水にありました。その錦の水に危機が訪れたのは、一九六〇年の阪急電車が四条大宮から河原町まで東に伸びてきた時でした。市場一帯の地下水脈が断ち切られそうになって、錦市場はより深い井戸を掘ることで危機を乗り越えました。で、最近、その錦市場の命ともいうべき水の出が悪くなったり、枯れたりし始めているそうです。地下鉄工事の時にもそうしたことが起こり、より深い井戸を掘ったそうですが、今回の水の異変は原因がわからないということです。あ、送ってきました、送ってきました。山岡先生、これをご覧ください。この京都地図にマッピングしてある点が井戸水を使っている豆腐や湯葉、麩(ふ)、漬物、魚などを扱っているお店や染物工場で井戸水を使っているところです。で、赤が枯れたところ、黄色が出の悪くなったところ、青が変化なしですが、京都盆地の中心部が赤、その周辺に黄色、そして東山、北山、西山の山麓はまだ青色です。ということは、中央部から何らかの異変が起こっているのですね」 「これは素晴らしい調査だ。一軒の井戸の異変は、事故か地下水の使い過ぎか、そこの特殊事情だが、このように示されると、これは明らかに地下での異変を告げている」 「しかも相当な規模で始まりつつありますね」 「緊急にどうすればいいかを相談しないといけないな。そうだ、今の林田とかいう仲間以外に何人の人が動いていてくれるんだ」 「私の把握できているのは私を入れて五人です。その五人がそれぞれに五人のメンバーを持っているはずですから、そうして考えますとねずみ講的ではありますが」 「いいね。五人はゲバラのゲリラ論にもあるから、そうなっているんだろうが、そうするとまずその五人と話をすればいいのだな」 「ええ、よほどの事態が来ない限り、五人の単位で充分です」 「ではその五人のメンバーと、私とうちの家内と、そうそう皆さんのパートナーはどうだろう」 「残念ながらどのメンバーも狂っていますから普通の結婚生活は破綻しているかもしれません。私の所は駄目ですから、とりあえずは五人ということで」 「では、七人で、私のいつも使っている料亭に集まってもらおう。もちろん、貧乏五人は気を使わずに、存分に飲み食いしてくれればいい」 「山岡先生、貧乏五人は失礼ですよ。税金でご飯を食べてこられた贖罪(しょくざい)だと思ってください」 「そうか大学教授だから自由人の顔をしていたが、しょせん税金で食べさせてもらっていた公務員か。そう言われると、君たちは私のお金で飲み食いする権利があり、私には支払う義務があるのかもしれない」 「山岡先生、すみません、とんでもないことを言いまして」 「いやいや、今こそ国家公務員として皆さまのお役に立たないと申し訳ないと思うから」 「ありがとうございます。ではその旨、メールいたします」 「その後で、電話を借れるかな」 「先にどうぞ」 「いや、メンバーがそろうかどうか先に分からないと」 「大丈夫です。今日は五人とも夜まで大丈夫だと言っていましたから」 「じゃ、家に電話してくれないか。出れば代わるから」 「わかりました。はい、少しお待ちください」 龍行は山岡先生のお宅に電話をした。すぐさま奥様が出られた。 「私、神代龍行と申しますが…はい…はい…こちらこそ、いつもお世話になっております。少しお待ちください、先生、お出になりました」 「おう、私だ。今夜、あのホウコに予約しておいてください。あなたを入れて七人。時間は六時から。いつものコースで。うん、よろしく頼む」 「ホウコってお店は知りませんが」 「京都の有名料亭で修業を積んで数年前に料亭を開いたんだ。こいつが変わり者で、私の生徒で親父の料亭を継ぐことがいやで大学院にまで進んでいたんだが、ある日、やはり先祖の血が騒ぎます、とそれから修業したんだ。ところがやはり血は争えないのか、実に美味いし、心遣いも行きとどいている。やつのところならいつまでやっていても大丈夫だし、どんな話でも大丈夫だ。というより、あっちこっちに聞こえた方がいいかもしれないが」 「そうですか、楽しみです」 「山岡先生、そのホウコって、どういう意味なのですか」 「宝の蔵ではないのか。いやそう言われると、ヤツの店はホウコってカタカナで書いてある。そういえば、何からつけたのだろう。今日聞いてみよう」 「ひとつ予想がつくことがありますが、まさかとは思いますから、お邪魔してから聞きます」 「では、メンバーに知らせてくれるか」 「ありがとうございます。ではしばしお待ちください」 「えっ、もう終わったか」 「ええ、全員に集合場所と時間をメールしました。場所がら当然食事をいただけると思っているはずですから、余計なことは申しません」 「しかし、神代さんの思うことはすぐにわかるのだね。よほど長く付き合っているのだろう」 「確かに数十年は付き合っていますが、初対面から話さなくても分かるといいますか、すぐに肝胆相照(かんたんあいて)らすといいますか、話さなくても分かりました」 「そうか、肝胆相照らすというと、脳を使った思考でなくて、内臓が合うということなのだな。あれもいろいろ解釈があって、お互いの内臓が見えるくらい理解しあう関係とか、肝臓と胆嚢(たんのう)が近いから、そのように近い関係とか、中国では肝臓と胆嚢が心の働きをするから、とかいわれるが、要は言葉を使わなくても理解しあえる関係なんだな」 「ですから、話さなくても分かる人には話さなくてもいいでしょうし、話しても分からない人には、話しても無駄ですから話さなければいいと思います。この件も情宣は義務として行いますが、その人がどう行動するかまでは我々ではなんともできないですし、しなくてもいいと思います」 「そうか、我々の仕事は、可能な限り知らすことなんだな。その意味でも植物や動物が自然に察知することを、情報として聞かせてやるべきなんだな。それで何も感じない連中は放っておかないと仕方がないんだ。神様でさえ人を変えることを諦めていらっしゃるとすれば、我々のような人間が他人様をどうこうできるはずがない、ということだね。分かった。これですっきりした」 そう山岡先生は自分で納得するように言って、空を見上げた。龍行は山岡先生の中に青空を走っている大小さまざまな雲のように思考が飛び交っているのだと思った。龍行もまた空を見上げた。龍行の中には、これから起こるだろうことにどう対処しようか、というような煩悶も不安もなかった。まさに思うままに、必要な時に必要なことが浮かべばそれに懸命に取り組めばいい、そう思っているからだ。 「じゃ、少し早いが出かけるか」 山岡先生は意を決するように言った。 タクシーを降りると、まだ暖簾が出ていないお店に、山岡先生は、どんどん入って行った。歩きながら大声で叫んでいた。 「すまん、ちょっと早いが、待たせてもらっていいか」 「はぁい。どうぞどうぞ」 声が次第に大きくなって、山岡先生の弟子という主人らしき人が現れた。 「悪いな、まだ時間が早いからこれはマナー違反だが、別に接待はいらない。待たしてくれればいいんで」 「いや、準備は終わっています。いつでも結構でございます」 「しかし、皆が揃ってからにしてもらおう」 「山岡先生、いつもいつもありがとうございます。どうぞどうぞ、こんなところで立ち話をしていただいても何ですから、お部屋へ…」 和服の楚々とした女将風の女性が現れて、部屋に案内してくれた。そこは離れになっていて、他の客にも聞こえない場所で、こうした会にはちょうどいい、そう龍行は思った。 部屋に入ると女将に座布団を勧められ、座るや否や、山岡先生は、我々の後ろをついてきた御主人に聞いた。 「早速だが、何度もお邪魔していて聞いて無かったのだが、このホウコって店の名前は何の意味か知らなかったのだが」 「ひょっとしてスペイン語ですか」 龍行は神代は山岡先生と御主人の会話に言葉を挟んだ。失礼とは思ったが、もしもそうであれば、素晴らしいことだと思って、たまらずに割り込んでしまった。 「えっ、御存知なのですか」 「まさかとは思いましたが、宝の蔵なら漢字で書かれますが、カタカナですし、ひょっとすればフォコではないかとも思います。もちろん祇園祭の鉾ではないですが」 「それは何の意味なんだ。二人だけが分かっているのは面白くない」 山岡先生が、少し怒った調子で言ったが、それは怒っているというより、早く聞きたいからだった。 「お客様の中で、フォコではないですか、と聞いていただいた方は初めてです」 「じゃ、御主人はあの人に関心がおありなのですね」 「あ、やはり同じことを考えていただいたのですね。これは素晴らしい。そして大感激です。宝の蔵の宝庫だと思っていただいていてもいいのですが、裏の意味を知っていただいているとなると、今日は、目茶苦茶サービスします」 「おいおい、だから、何の意味かと聞いているだろう」 今度は苛立った、少し怒ったような口調だった。 「はい、これはスペイン語で、中心とか焦点とかいうのですが、ゲリラ戦では、前進基地のようなものをフォコと言います」 「そうか、それでは、今日の会はこの店にふさわしい会かもしれないな」 「山岡先生、その後にどのようなフォコが生まれて、新しい世の中が作られるかはわかりませんが、今のところ、逃亡といいますか、退去といいますか、撤退といいますか、そのためのフォコですから、悲しいですが」 「いや、勇気ある撤退だ」 「その勇気ある撤退に同意したというかすぐに分かった男が、まず映像作家の戸山、次に生きているキリストと言われています沖縄の林田、それに慈悲の権化と言うような男山上、それに心まで料理してくれる調理師の鹿原、この四人です」 「お連れ様がお越しです」 女性の大きな声がして、まず二人が案内されて入って来た。 「おぉ」 山岡先生が立ちあがって迎えてくれた。いよいよ始まってしまった。