2014年6月10日 更新 第二回 それは痴呆症に足を踏み入れた九十歳に達した義母と、その実の娘である妻との確執(かくしつ)である。重ねて言うが、彼女たちは血縁関係であり、決して嫁と姑(しゅうとめ)の義理の関係ではない。そして義母は「認知症」でなくて、「痴呆症」でしかない。「認知」とは、『広辞苑』によれば、「事象について知ること、ないし知識をもつこと。広義には知覚を含めるが、狭義には感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程」とあるが、そんな高尚な症状ではない。認知のもうひとつの意味に「嫡出でない子と父または母との間に法律上の親子関係を成立させること」とあるが、二人の確執を見ていると、むしろこちらの「認知」が当てはまっていて、血縁であるにも関わらず親子という認知を解消したいと願っているようにさえ思える。 しかし、義母の場合は、「痴呆症」とも言えない。痴呆とは「いったん個人が獲得した知的精神的能力が失われて、元に戻らない状態」であり、「ふつう感情面・意欲面の低下をも伴う」とあるが、そのどちらも違うからである。義母を三〇年以上前から見てきたが、彼女は当時六〇歳手前でも、すでに認知症でも痴呆症でもない、退化症とでも言うべきていたらくで、実直で何事も小まめに動く夫に一切を任せ、しかも当然のように命令口調で言いつけて、感謝の気持ちなどこれっぽっちも見せなかった。義母が買い物に出かけたことをついぞ見たこともなかったし、台所に立って、いそいそとお惣菜(そうざい)など作っているような風景を見たことはなかった。しかし、肉親以外の、まだ本性(ほんしょう)がばれていない親戚や知人には、いかにも上品で優しい女性のように見せかけ、何か言えば、あれが心配、これが心配と優しい振りをし続けてきた。 災害時に避難所の不自由な生活を強いられて、外出をせず、運動もせずに座りっぱなしになることで、全身の機能が低下することを「生活不活発病」と言うようになったが、それは医学的に「廃用症候群」と言われてきたことで、義母の場合は、早くから身体の「廃用症候群」であり、感情の「廃用症候群」でもあった。痴呆症とか認知症とかが加齢によって脳の器質的障害によって起こるものとすれば、義母はそれ以前に自己利益の追求が高じて加齢までに器質的な障害を招いてしまったとしか思えない。年齢を重ねることで人間は肉体的な衰えは阻止し得ないとしても、精神的には進化し得る可能性があり、それこそが人間の生きる目的であり、それによって肉体的な衰えさえ遅らせる事が出来るが、そういう人間のあり方からすれば、義母は早くに退化傾向を表していた。自己満足と自己仮装だけで三〇年を生きてきて、退化の傾斜を早めた結果、背中をだんご虫のように丸め、肺を押しつぶしてぜいぜい言いながら生息していた。人間として生きるのであれば、なにほどかの人間らしい尊厳があるはずだが、そんなものは欠片(かけら)も無く、しかも今に始まったわけではなく、三〇年前からそうであった。 そういえば、まる虫と呼ばれるだんご虫は、捕食者に脅かされた場合、硬い外皮を外側にしてボール状に丸くなるが、義母は神に捕食されることを恐怖しているとしか思えなかった。神に召されることも拒むように、日々ぜいぜいぜいぜい言いながら、若者のようにたっぷり食べ、げっぷと歯をせせり舌を鳴らす癖を何度注意しても止めずに、人を苛立たせるために生き延びているとしか思えなかった。 それに対して、龍行は一切の感情を消していた。こういう人にこそ愛を注ぐべきだと思ったこともあり、また注いでいたし、今でも、義母の朝食などは、自分が食べなくても作ったりはしていた。愛が返ってこなくなった優貴への変わらない愛でもわかるように、龍行は随分前から愛を注ぐ価値というか注ぎ甲斐のない人にも愛を注ぐことを厭(いと)わなかった。もちろん普通には自分にかかわりのないと思われる行きずりの人にもそうであった。体の不自由な人、一目見ただけで通常と違う体の人にすれ違う時、龍行は急いでいない時は、立ち止まってまで愛を送った。少しでもその状態が軽減し改善されることを願いながら。たとえ急いでいる時でも、歩を緩(ゆる)め、まさに純粋な愛を送った。それがその時になすべき最重要なことと思ったからである。だからたとえ甲斐のない愛とはいえ、義母に愛を送ることはやぶさかではなかった。 しかし、ある時に、人間の悲しさを知らされた。猫が無償の愛にそれでも態度を変えていき、やがてはその飼い主に抱かれることで、喉を鳴らし、早くに離別された母猫を思い起こしてか、搾乳のような感じで足を交互に胸に押し付けるようにもなる。しかし、悲しいことに、義母の場合は、意識してなのか無意識なのかはわからなかったが、注がれた愛の分だけ、まるで神に代わって試すように、感謝とは全く逆に愚弄(ぐろう)するようなことを習慣化してしまった。何度説明しても、人をからかっているのか、試しているのか、感情の限度をはかっているのか、いかにも聞いていないように同じことを繰り返す。人が嫌がることをどれほど繰り返せば忍耐が壊れるのかを試しているように面倒なことを続ける。それはもちろん脳内の器質的な障害が医学的に証明されるずっと前からそうであった。 「いやいやそれが認知症ですよ、痴呆症ですよ」と言われれば、なるほど義母は若年性認知症だったのか、道理で今は娘の名前すら言えないほどに進行している、そう思えるならばそうなのだろうが、義母の状態は、龍行にはとうていそうとは思えなかった。自分の事に関しては、これが得になるか、これはしなくて済むか、これは欲望を満足させるからしなければならないと、というような意識には何の問題も無く、少しは呆(ぼ)けた方がいいのに、そう思えるほど冴(さ)え渡っていた。 人間関係で喜ばしくない現象を言葉にすれば、たとえば「意地悪」、たとえば「強情(ごうじょう)」、たとえば「人の気持ちがわからない」などというが、そのように人間関係を腐らせるために生きているとしか思えない言動で生きているように思えた。だから愛を惜しむわけではないが、いつしか愛を注ぐことが「もったいない」と思い始めていた。そして、『聖書』などにある『その時』、そしてアセンションと言われるように、いずれその時が来て、神によって選別されることがあり得ると思った。 たまさか人間としての意識を持ったばっかりに、猫には決してあり得ない退化の道を歩み、選別で選ばれることなく、惨めに命を奪われるに違いないと思った。それは神に倣(なら)おうとして生きていても、悲しいかな人間として同レベルであることによって、いかんともしがたいことなのだと知った。神でさえ、義母が生きている間に「改心」させることが出来なくて、生きている間に選別にかけて、死後に地獄に落とすより方法がないのだろう。 人は変わらないのだ。残念ながら人を変える事も、人が変わることもほとんどあり得ない。アメリカにはそう思える調査がある。 「ほとんどの人たちは自分の人生経験を、元から持っていたエネルギーフィールドの中で、違う形で表現しているに過ぎ」(『パワーか、フォースか』デヴィッド・R・ホーキンズ著、エハン・デラヴィ&愛知ソニア訳、三五館刊)なくて、その結果「・・・人々が積み重ねる人生の諸々の選択は、結局自分たちの意識のレベルを低下させていることが多い」そうだ。だから、「結果として意識のより低いレベルに私たちを閉じ込めてしまう『信念』であっても、それを捨てるくらいなら、死ぬほうがましだとほとんどの人々が思っているよう」だというのだから、その人をどう出来るというのか。 最初から最後まで自分がそうだと思う生き方に固執して生き、死んでいく。たとえ金持ちになろうと貧乏になろうと、それは物質的な環境に過ぎないから、その環境に応じた意識を持つのではなくて、同じ意識の枠組みで、量的な物などがわずかに変わるだけだ。 いらぬ個人的な意識が、愛が注がれていることさえ拒んでしまうのだ。電車の同じ車両の少し離れた場所で、むずかり泣き始めた赤子に、静かに愛を送ってやれば、赤子は間違いなく泣き止む。もしも泣き止まないならば、それは赤子が自分の意志で拒むからではない。大人のように自己保存や自己利益に凝り固まった意識で、愛を拒むようには拒まない。ただ泣き止まないのは、愛の送り手側に問題があるのだ。愛が純粋でないからで、また愛を送りながら、そんなものは止まるはずがない、そう疑ってかかっているからだ。 龍行は望んで結婚し、肉体をひとつにし、さらには初期の頃には何か世界の事件でも地域のいざこざでも夫婦間の行き違いでも、あるいは個人の何かに対する評価の違いなど、何でも問題が起こるたびに夜を徹して語り合った。しかし微妙に重なり合えない違いが残り、その違いを解消するために、ひたすら愛を送ったのだが、龍行が瞑想と学びを重ね、さらには、自らの意識をより普遍的な人類の意識のようなものに繋げて、自分は神のメッセージを作品として書かされているのだと思い始めるころには、その微妙と思えた違いは、人間の種類の根本的な違いだと思えるほどになってしまった。妻は龍行に共鳴しつつ変わっていくことは決してなかった。むしろ、龍行に反撥して反対のことになる種々の選択をし、他者や人間全体を包むような大きな神とも言うべき存在などまるっきり信じなくなってしまって、年と共に自分だけが最も正しいと思うようになり、まさに意識のより低いレベルに傾斜していった。口を開けば怒りであり悪口であり、彼女以外の一切が「ろくでもない」ものでしかないように、片っ端から批判し、罵倒し、否定するようになっていた。 妻にも愛は無効だった。龍行がそう結論しつつも、長く無用の関係を引きずってしまったことには、何かまだまだ人間のありようで学べることがあるかもしれない、と淡い、今にして思えば馬鹿な期待をしていたのかもしれない。普通、目の前に繰り広げられる嫌な光景があれば、それを見ないようにするはずである。いい方を変えれば、何の意味も無く、共通の目標もないような人間関係は解消すべきであったが、龍行の中に、人間の退化への傾斜を観察しておきたいというような、実に冷酷な期待があったのかもしれない。 そう期待していたのか、それとも関係を解消したいと思うほど関係を考慮しない日常になってしまったのか、まるで龍行が関係を早く解消するようことを促すように、妻も義母もそれぞれに退化しながら、関係を醜悪にしていった。あっさりと殺してしまう方がよほど見やすい、そう思うほど、人間の関係としては信じがたい状態になっていった。人は変わらない。信念を捨てるくらいなら死んだ方がましだというその証明を、自分の伴侶から証明してくれていることが、龍行の不幸ではあった。しかし、龍行はそれを不幸とは思わず、学びや修行の機会だと思っていることが、神も見ていて歯がゆかったのだろう。龍行の決して殺してしまってはいなかったが、超越して鎮まっているような心に、優貴というときめきの黄金を投げ入れてくれたのかもしれない。 鎮まりの池は波紋どころかたちまち沸騰するように泡立ち、愛というものが一切を光で包み込むものであることを感じさせた。だからその大きさに膨らんだ愛は優貴からの返りが無くなったからといって、すぐさま萎(しぼ)むようなものではなかった。大きく膨らんだ愛は、その大きさだけ人類の普遍の愛と重なっていたからだ。だから、龍行は妻と義母で鎮めた心が平面のようであったら、今の鎮まった心は、その妻や義母を底面にした立方体のように思っていた。事実、平面の鎮まりは文字通り氷のように冷え切ってしまっていたから、沸騰するような精神状態にはなかなかなりえなかったが、立法体と思われる鎮まりは、全体で愛の普遍の場を転がるように、いつでも一気に湧きたつ感じではあった。 しかし、立法体だと思っていた鎮まりが、一瞬、神の意志で叩き潰されてしまったことが起きた。人間のあまりにだらしなく、進化の見えない「ていたらく」に神が怒ったのか、日本列島周辺で、地球が癇癪(かんしゃく)を起したように、大地と海の底が軋(きし)んで弾(はじ)けた。列島の半分が激しく揺れ、海からは全てを御破算にするような神の意志が砂で武装した鋼鉄のような海水となって陸地に雪崩(なだれ)れ込んだ。人間に制御できないことが神の領域であるならば、原子というもので熱を起こしてタービンを回すという前時代的な装置にも鉄槌(てっつい)は下った。全てが神を畏(おそ)れぬ人災でしかなく、天の選択の機会とも思えた。 原子力発電所の暴走はいかなる技術をもってしても当分は止まることはないだろう。それは人間に制御できないものを傲慢にも「文化」とか「文明」とか「豊かさな」などという支配者のイデオロギーに踊らされて作ったせいではあるが、人間の技術では暴走を阻止できないに違いない。放射線が一切の物質を透過するとすれば、放射性物質を阻止できるのは、間違いなく意識だけであろう。しかも「愛」だけが被曝も被爆も拒否し、万が一、被曝し、被曝しても体内から排泄してくれる。その「愛」の補助要員が、玄米であり、塩であり、味噌であり、納豆であり、梅干しなのだろう。 原発の暴走は、人々の利己的な意識が少しでも改善されるまでは止めることはできない。これでもなおしたり顔の政治家や科学者、嘘しか言わない評論家どもが原発を否定する側に回らない間は暴走は続く。それは安全神話を木端微塵(こっぱみじん)にした想定外の津波のせいではない。他ならない原発を作ることで、さらに富の蓄積を試みた支配層の傲慢な意識のせいであり、その支配層にへつらいおべっかを使った電力会社の怯懦(きょうだ)な性格のせいであり、その支配層に金を握らされて住民を騙した政治家や地方自治体の長の誑(たぶら)かし騙(だま)した意識のせいであり、誘致によって僅(わず)かに入る金銭に小躍りして賛成した地元民のさもしい意識が起こした事故だからだ。どこからどう考えても自然災害などでは決してない。 では津波は自然災害かと言えば、これもまた自然災害ではない。地震は人間の日常時間を考慮しない速度で襲うために、よほどの用心と注意と堅牢な建造物の中にいるかしないと助かる見込みが少ないだけに自然災害と言うべきだとしても、津波は残念ながら人災である。もしも、津波に襲われた町の全てが壊滅状態になり、どこでも多数の死者が出れば、それは人間の思惑を遥かに超えた自然災害だと納得はできる。しかし、同じように巨大津波に襲われて、同じような住民構成で一人の死者も出さなかった地域があり、同じように海に面した住環境で一軒の家さえ破壊も流されもしなかった地域があれば、津波に関しても人災と言うべきであり、そう断定することで、次の被害を出さないようにしなければなるまい。 一人も死者を出さなかった地域は、町に張り巡らされたスピーカーで、逃げること、家に戻らないことを叫び続けた若い消防士によって、全ての住民が助け合って避難したからだ。一軒の家も津波の被害に遭わなかったのは、一八九六年と一九三三年の二度の三陸大津波に襲われ、それぞれ生存者が二名と四名という壊滅的な被害を受けた地域で、二度目の大津波の後、住民たちが石碑を建立し、その後は、石碑より高い場所で暮らすようになったからだ。海抜六十メートルに建てられた石碑には、「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく)想(おも)へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」とある。二〇一一年の大津波は、この石碑五十メートルの手前までやってきたが、家を襲うことはなかった。 あの未曽有(みぞう)の大津波で一人の死者も出さず、一軒の家も壊れなかったとすれば、いかにその巨大さが強調されようと、津波は自然災害でなく人災である。物を取りに戻った人、家の安全を確かめに行った人は、津波にのまれて命を落とした。 この東日本大災害で、龍行の鎮まりは一旦沸騰した。それは恐怖や悲しみではなく、「あぁ、神の選択だ」という思いによる興奮だった。いや、目に写るあまりの惨状になすすべもない悲しみに翻弄されないために、『新約聖書』の断片を思い出していたといえる。 「・・・それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民には怒りが臨み・・・」(『新約聖書』ルカによる福音書、日本聖書協会) 「・・・海と大波とのとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう・・・」(同書) 龍行は沸騰してしまった鎮まりを、再び元の鎮まりにするために、ひたすら被災地に愛を送った。いかなる望みも希望も祈りもないただ愛を送った。その愛によって神の選択を少しでも和らげたいという願いもあった。人は惨状を目にして、神が無慈悲だと言う。神が残酷だと言う。しかし、愛が全てであり、愛という力しか持たないはずの神が無慈悲でも残酷でもない。神の愛を率直に、素直に受け入れようとしない人間が無慈悲であり、残酷なだけで、神はそれをその無慈悲な人、残酷な人に投影するために、無慈悲であり、残酷であるように事を起こす。 人間社会の混乱と頽廃ぶりを見て、「神が沈黙している」と言い、自然災害に赤子の手をねじるように命を奪われる人を見て、「神も仏もあるものか」などと口走るが、本当にそうなのだろうか。その無慈悲と残酷、冷酷な選択に基準はなかったのだろうか。人間によって自由を束縛されていない動物がこうした災害で大量に死んだとは聞かない。犬や猫などの愛玩動物と牛や豚や鶏などの家畜や家禽が災害では被害者になる。こんな災害時に犬や猫を助けるより人間が先ではないか、と被災地をさ迷う犬や猫を保護する奇特な人を非難する人間がいるが、災害に対して自分達から逃げられないようにしておいて、そして否応なく被害に遭わせてしまうのだから、むしろ逃げられる可能性があり、逃げようと思えば逃げられた人間より先に救出すべきではないか。人間は自分の責任であり、犬猫を縛り付けた報いを受けなければなるまい。 何度でも言う。一人残らず全員が死んだとすれば、それはまさに自然災害でしかないが、ひとつの地域の全員が助かっている以上、これはいかなる弁解をしても人間が招き寄せた事故でしかない。 死者に鞭打つことでしか、生き延びさせてもらった人間たちは、死者がまさに死を賭して教えようとすることを無駄にしてしまう。しかも、こうした自然の猛威の前に、死は一瞬にして訪れるが、死か生かの選択の基準は一瞬のものではない。むしろ、それまで、あるいは今生の前の生まで含めて、長い長い基準作りの生きざまにあったに違いない。それは、その時に、「身重の女と乳飲み子をもつ女とは不幸である」という部分が言っている。 イエスの言葉を伝えようとした弟子たちのよって解釈が曲げられ、三二五年のニカイア公会議を始め、教会の権威を高め、信者と神との間に仲介者として介在することで富を蓄積しようとして、何度も改竄(かいざん)に改竄を重ねて、現在流布する『聖書』になっていったのだろうが、なぜ「身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」という、非情で冷酷とも言える部分を残していたのだろうか。その時に身重であったり乳飲み子を持つ女は、まさに弱者であり、その時の犠牲になる確率が最大に高い。それでもなお、このような表現が残ってきた意味を考えねばならない。それに、このような「教え」は、信者を増やし、金品を巻き上げるには効果的とは思えない。神が改竄者の目をくらませて、どうしても残しておかねばと思われたのだろうか。 この部分から、我々は、その時に選択の基準があるのではなく、誕生からその時までのその人の生き方全てが選択の基準となるのだ、ということを学ばねばなるまい。召されるのは一瞬であるが、神の目は誕生からその時までを見詰めているに違いない。それをほぼ一年以上前から強く思わされてきた。自分が好んでそう思ったのではなく、何を考えてもそう思えて、人生全体から選択の基準を作りあげていくに違いない、そう思いもした。そしてそれが書き物になってきていた。 龍行は二〇一一年三月十一日の東日本大震災と呼ばれる不幸を早くに感じていた。それが自分の身に迫っているのか、あるいはどこか他に迫っていることが感じられるからそうなのか、それは龍行には判然とはしなかったが、何かが起こるという予感があった。しかも天国の様相というよりは、生きながら地獄の様相を呈する悲惨なことだと言うことは感じていた。二〇一〇年になると、その思いが手に、いや指に伝わってきて、三つの作品で千二百枚を超える作品となった。生き方のイロハから書いておかねばなるまい、その思いが大きな悲しみの予感で急がせたようだ。それが二〇一一年の一月一日から加速度がついた。二月二十三日四六〇枚の作品が完成した。 その完成後からの精神が奇妙と言うしかなかった。何かを準備しなければならない。愛を整えねばならない、そんな気持ちにせきたてられ、優貴への愛さえ大きな愛の中の一部となってしまったようにさえ思えた。それが優貴への愛の鎮まりの原因の一つかもしれない、そう龍行は思った。