2016年4月15日 更新
九州の桜が散った。激震で散った。一瞬で散った。
桜が運んでくれた春の華やぎが消えた。
心よりお見舞い申し上げます。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」
これは、言うまでもなく在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」への返歌で詠み人知らずの歌だが、久しかるべきと詠まれてもいかにも酷い。ただのどかな暮らしの頃、「災害は忘れた頃にやってくる」と言われたが、この混迷の時代、「災害は忘れずやってくる」に違いない。「治に居て乱を忘れず」の乱など真っ平ごめんだが、自然災害を人災にしかねない時代には、心したい。
桜が散ったから慰めてくれるのか、家人の反対を押し切って、駐車場の隅の荒地に植えたリンゴの木二本。木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』に倣って、なぁんにもしなかった。「がんばって」「愛しているよ」「可愛いね」と言葉の肥料は朝昼晩通りがかってたっぷりと降らせておいたが、二メートルにもならない小さな細い木に、花が一杯咲いた。
「お前は蕾のまま腐ってしまうのか」と自問する私を、あのカシミール平原に漂っていたリンゴの香りが、慰めてはくれる。確かに蕾は60近く付けたことは、伊吹龍彦の作品一覧を見ていただければわかってもらえるだろう。そしてついでに、閉門蟄居を自らに申し渡して、どなたにも会わず、失礼とご無沙汰ばかりを重ねてしまっていたことは作品の数で弁解させてもらっておこう。決して冬眠して惰眠をむさぼっていたわけではない。痛み止めを飲みながら、痛みで中途半端しかできないリハビリをしながら、よれよれと笑われながら、必死で書いてはきた。
その中から、yoshiの細やかな校正とあでやかな表紙で、『新・真革命教典~山原水鶏が飛んだ』と『白百合』の二作品をウェブサイトにアップしてくれた。
「革命」とは物騒なタイトルだが、「革命」は命を革めることであって、決して自爆テロに先鋭化する政治的な動乱ではない。説明文で興味を持っていただければ、一読を。
ダウンロードしていただいても、読んでいただいても構いませんが、「ふぅん、なるほど」とか「これは読んだ甲斐があった」とか思っていただければ、ご報謝を。
★我が駐車場のリンゴの花
★カシミールのリンゴの香りは、『吾輩も猫である』の「黒い水仙」を。
★『新・真革命教典~山原水鶏が飛んだ』の表紙
★『白百合』の表紙