
やがて、8760時間という一つの区切りが終り、新しい8760時間がやって来るというのに、時間なんてどこにもない、などといえば、またまた顰蹙を買うかもしれない。 しかし、世界の仕組みの中に時間は存在しな …
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>続きを読む放送の台本を書くと本番中にはほとんど仕事がないから、突発的なことには対応さされることが少なくなかった。小さな放送局で、ラジオの生番組をやっていた時、視聴者センターから電話が入る。 「リスナーからの電話 …
>続きを読む010 命の祭典 一切に偶然はない。 人間だけが幾何学的な美や法則を生み出していると思う傲慢さはないだろうが、それでも一切に偶然はないという境地には、なかなか到達できない。 人間の目には自然をはじめ多 …
>続きを読む連載緊急特番 『ほぼ週刊ぼちぼち連載』は、『今夜もまた、時事にたいする興味がしずかに流れさっていくのを感じる』という谷川雁さんの言葉により、時事に呆れ果てて、時事に触れないつもりだったが、二つの時事に …
>続きを読む連載、初雪中断 『伊吹龍彦のオフィシャル・ウェブサイト』には、『痛痛』というコーナーがある。 「痛痛」とは「ツウいた」と読み、伊吹のたった一人の「Twitter」で、伊吹の日録、雑感、憤懣などなど、そ …
>続きを読む「諦めて任せよう」、これが人生の最高、最大、唯一の「処生術」であろう。 「処生術」であって、「処世術」ではない。「処世術」は、「世間で暮らしを立ててゆくこと」や「世わたり」「世すぎ」が処世であれば …
>続きを読む人間の真実の存在の瞬間、それが仮にプランク時間といわれる十のマイナス四十三乗秒で、その現在と思われる瞬間に人間という形態形成場で光のパターンとして形成され、それがプランク時間という一瞬だけ存在し、 …
>続きを読む008 映像から考える 明らかに三途の川岸に立たずんでいるとしか思えない。このままでは地獄に墜ちるか、それまでに三途の川に溺れてしまうのだろう。経帷子(きょうかたびら)が死者を葬る時に着せる着物であれ …
>続きを読む007 「食べること」というあたりまえが、最も頑固なあたりまえで、「食べなければ死んでしまう」にはじまり、「こんな美味しいものを食べないなんて死んだ方がましだ」と冗談でなく本気で思うまで、まるで「食べ …
>続きを読む師走の郵便受に年々多数舞い込む年賀状欠礼の葉書。 今夜も寝る前に開けて見ると一枚の手紙。 光が乏しい場所で、今度は誰の親なのか、そう思って灯りの下で見て見ると、信じがたい文字があった。 信じられないの …
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