一昨年、元は道路だった硬い土を掘って、一メートル足らずの枯れたとしか見えないレモンの木を植えた。低温には比較的強いという品種を選んではいたが、例年にない豪雪で、春が危ぶまれた。それでも昨年は美しい花を咲かせた。しかし、実は結ばなかった。それでも十分に反対を押し切って植えた価値はあった。いかにも可憐な花だったからだ。
ところが今年、周囲の予想に反して、実がついた。春は二度目の花で危なっかしさは無くなったが、酷暑の夏が危なっかしく、汗をふきふきはらはらしながらまさかの秋を待ちには待っていたが、なんとなんと、立派な、大きな実をつけた。鮮やかな緑色で、レモン・イエローにはほど遠く、危なっかしい秋になったが、どうやら黄色を帯びてきた。(レモンの実)
汗をふきふきと言っても、耕したわけでも、肥料をあげたわけでもなく、虫も食べ放題で、ただ汗をふきふき声をかけ続けただけだ。「頑張れ頑張れ」と言っただけで、すっかり「天」にお任せだった。
わざわざややこしく言うと、情報がエネルギーを統御することがあるということだ。コントロールとは英訳しない。それは、コントロールが「制御・調節・管制」とあるからで、やはり「全体をまとめて支配すること」である統御と言いたい。
もちろんその統御する情報は、いじましい、知ったかぶりの、個人の情報ではない。個人の情報も含まれる遍満する情報系からの情報である。そんな系がどこにあるのか、などとおっしゃる方は、拙著をご笑覧いただくしかないが、同じことをくどくどと書いているだろうから、どれをとってもいただいてもいいだろう。
ややこしい話は、面倒臭いだろうがご笑覧いただくとして、声をかけて送る情報は、精神という個人の閉鎖系の意識からの情報ではなく、「天」とも言うべき意識からの情報の媒体にならせてもらうだけで、私が偉そうにレモンに命令しているのではない。
今にロボットをはじめITは人間を超えると愚かな科学者は豪語するが、超えるのは閉鎖系の情報系だけで、「天」の媒体となる開放系の情報系はメディア化できるはずがない。
だからといって、その行為は「とんでもない」偽科学とか宗教的な行為とかで片付けられるものではない。素晴らしく新しい科学の範疇であり、量子理論風にそうであり、ゼロ・ポイント・フィールドという用語が運んでくる新しい世界観からである。
もう一度言おう。不耕起自然農法で、無耕作、無肥料、無農薬で、その上過酷な荒れ地という場で、過酷な気候に耐えて、レモンは大きな実を6つもつけてくれた。まさにお任せレモンである。
お口直しに「お任せドラゴンフルーツ」のエピソードを。
頂戴したメールの無断転載である。スーパームーンの翌日に頂戴したメールの一部である。
「ドラゴンフルーツのエピソードを一言」
十数年まえ、知人からドラゴンフルーツの苗を3本ほどもらいました。
森田さんは家庭菜園など興味もないと思うが、この苗は裏庭の隅にでも刺しておけば、手入れもしないで勝手に育つからとのことにて、その通りにしました。
3年ほどで、久雄さんの作ってくれた棚に、ゴーヤーと共に元気に成長し、毎年のように、大きく立派な実を付け、スーパーのドラゴンフルーツより甘くて美味しいと、子供たちにも自慢していました。
3年ほど前、知人の牧師夫婦が石垣島に宣教のため赴任しときの話を聞きました。
家庭菜園の思い出話の中で、満月の夜のドラゴンフルーツの受粉のことを聞いたときは、本当に驚きました。
話によると、ドラゴンフルーツは満月の夜に花が満開になり、朝にはしぼんでしまいますとのこと。
花の季節になると、老夫婦で夜を徹して、綿棒を持って受粉していたとのことでした。その受粉がうまくいかないと、実がつかないとのことでした。
我が家では、そのことはまったくわからないまま、毎年食べきれないくらいの恵みを受けていました。
なぜ、何もしないのに、立派な実をつけてくれたのかと、よく考えてみました。
我が家の庭に倉庫として使用しているプレハブが建っていますが、そのプレハブの壁の間に巣を造ったミツバチ君の働きではと思い当たりました。
時期になると、毎年のようにミツバチ君が庭を飛んでいます。彼らの働きに気づいたときは、本当に感謝の思いがわいてきました。
毎年のように、私たちと共存するために働いていたこと、そして満月の夜に大輪の花と、芳醇な香りを届けてくれた、ミツバチ君とドラゴンに感謝です。
自然はなにもわからない私たちにも、大きな恵みを与えてくれます。
ミツバチ君、ありがとう、これからもお付き合いよろしくお願いします。
以上のメールは、沖縄の同志、ソウルメート、生きているキリストとあだ名される森田茂氏からのもの。転載を願うと、きっと謙虚な彼は断るから無断転載させてもらった。久雄さんは茂氏の弟子仲里久雄氏。残念ながら夭逝してしまって、沖縄の貴重な星がひとつ消えた。
そこで、そのドラゴンフルーツの写真をネットでどうしても見てもらいたい。そしてサガリバナ(西表島)と月下美人も見てもらいたい。一夜限りの花をどうしても見てもらいたい。自分で撮影した写真がないので、ネットで見てください。
一夜限りしか咲かないなんて「天」も非情だと思うかもしれないけれど、そのせいか、いかにも可憐で、白が美しい。
我がベランダにも一夜限りの花が咲く。今年も寝苦しそうな夜を救ってくれたヨルガオである。
一夜限りに咲く。
長い駄文に比べて、なんと素晴らしい詩なのか。
(夜顔の写真)
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