乱高下のように不順な天候と、忘れた頃でなくて忘れない間に頻発する災害と、「うざったい」世情で、一年で最も過ごしやすく爽やかなはずの10月がぶっとんでしまい、早や「非文化の日」。10月は出雲に集まるから神無月でなく、ほんまに「神も仏もあるもんか」と思いたくなるご時世だったのですが、くたばりそこないながらも、辛うじて書かせていただいているのですから、まさに神さまはいらっしゃいます。
年齢のせいもあって、パラリパラリと訃報が舞い込みます。しかも同年齢の友人知人の逝去が続き、何か順番待ちの感じもないわけではないのですが、そこは列の横入りでなくて、列からはみ出ようと、必死で痛い体を動かせています。
おかげさまで、動くとすぐに息切れ、呼吸困難状態で座り込んでいた早春の頃に比べて、随分と楽にはなりました。あとはさらに体力を回復して、渡月橋までの歩行をしなければと思っていますが、はてさていつになりますやら。
ただ脊椎管狭窄症による足の痛みは克服できましたから、やがて可能だと思っています。
左手の指根管症候群の痛みは残っていますが、それでも書いています。
春も満足になかったせいではないのですが、蕾のまま腐りはしなかったことを幸いに、花咲くことはないままに、秋だからと作品という実だけはなっている感じです。
今秋の収穫は
『のっぺら大王』324枚
『立て!飢えたる者よ』252枚
酷暑で歪んだ果実や、水不足でフレッシュさのない果実や、加齢でジューシーさを失った果実を、ご希望の殊勝な方にはおすそ分けいたします。メールまでお知らせください。データですが幾つも送らせていただきたいのは、お口に合わなければ、一瞬で削除してもらえるからです。
ただご笑覧いただくものがありましても、いつものように降ってわく言葉をチャネリング状態で受け取っているだけですから、誤字脱字を少々修正した程度で、書きっぱなしです。いわば「不耕起自然農法=神様お任せずぼら農業」と一緒で、「不思考自然綴方作物」とでも申しましょうか。そんなこんなで、誤字脱字の見残しがあればお教えくだされば幸いです。
松茸でもありません。栗や銀杏でさえありません。もちろん新米などとうてい無理ですが、それでも秋の収穫をお送りする気持ちではあります。誰かが「いも作品」なんて言いましたが、その表現はほくほくの芋さんには失礼ですし、私の作物は胃袋ならず心袋に満腹感は感じていただける自負はあります。
お口に合わないでしょうが、ご賞味くだされば、私の気持が少し楽になります。では、お目にかかって、「あれはなんじゃ」と叱責してもらえるような日が来ますように祈りながら。
合掌 伊吹龍彦
ウェブサイト:ibukitatsuhiko.com
メール:ibuki@lovelove.zaq.jp
【不要な情報】
うざい=元々、多摩南西部周辺の野菜の漬物の名前や、植物などがいっぱい生えていて邪魔くさい、不快、気持ち悪いなどの意味(うざってる、うざっしい)であった。区部に伝わるにつれて「むかつく」などの意味に変化した。西多摩郡檜原村が発祥という説もある。
それが1980年代のツッパリブームから関東圏を中心に使われるようになり、1990年代には不良以外にも使われ、全国的に普及したそうだ。
いも=「何処でも得られる食料」ゆえ、蔑まれる傾向も見られる。いわゆる「イモ」というと「洗練されていない」の意味を含んだ、いわゆる「ダサい奴」という意味で使われる蔑称となる。芋料理は、しばしば「田舎料理」(郷土料理)の代表に挙げられる。
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