予知能力をすっかり無くしてしまった人間が、未来の命の危険を予知できないのは仕方がないとしても、目の前に繰り広げられている惨劇から次にどうなるかさえ予想できない貧弱な脳でしかないのは、悲しい限りである。

右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合いと言う懐メロがあるが、懐メロどころか今も日本列島全体で想像力などからきしない人間が絡み合っている。

合わせ鏡表紙最も大規模で組織的な馬鹿と阿呆は原発に群がる人間で、この連中とその連中を必死で弁護し応援する連中、こうなれば命がどうなるかさえわからなくなっている無暗に人殺しをする連中、自分が逆の立場ならどうなるか、という最も簡単な想像力さえ育まれなかった少年少女。

そんな想像力欠如の現実をテーマに書いたのが、『合わせ鏡』で、昨日、明窓出版の電子書籍でアップ。今回の表紙はさらに緻密で表紙にしておくのはもったいないような作品。もちろん伊吹龍彦専属デザイナー森田佳行さんの作品である。

二つ引用。ひとつは、以前に唸ってしまった「アパリグラフ」と言う言葉を、サティシュ・クマール著『君あり、故に我あり』より。

「アパリグラフは蓄えないこと、所有しないこと」であるが、「アパリグラフは、観念、知識、哲学や宗教にも適用される。これらの非物質的所有物の収集は精神的物質主義となり、このような所有物はあらゆる所有物の内で最も束縛が強いものになりうる。外面の生活と内面の思考を共に簡素に保ちなさい」と。この精神的物質主義が、頑強なことは、良く引用する『パワーかフォースか』で言われている。

もうひとつは、『合わせ鏡』の説明文より。

「ひとりの男子中学生が、北朝鮮籍の女子がいじめられているのを止めに入り、それをきっかけにしてありとあらゆる手段を弄されていじめまくられる。そして家から金を盗んでくることを強要されるに及んで、死を決意する。もちろん自分の死がいじめられたことによることを知らせるために、いじめた連中、彼らの親、学校、教育関係者に凄まじい遺書を送りつけて家を出る。しかし、生きていて無様なのに死んだ後も無様な格好を見られたくないという思いで、ネットで死の場所を探し続け、山奥の崖っぷちを探し出した。そこから飛び降りて深い谷底に叩きつけられれば、すぐさま人に発見されることも無く、白骨化することで屋上から飛び降りて見せるような無様で悲しい骸になることは避けられる。それが彼の最後の望みで、崖に辿り着いて、谷底に向けて、生きている最後の一歩を踏み出そうとする。そして……。いじめ、それは想像力を養わなかった戦後教育の成果である」

よろしければご笑覧を。

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