暗さ匂へば螢

この写真、じっと見ていただけば、何か匂いませんか?
 
もちろん写真は失敗したものをそのまま使ったのではない。「暗さ」を撮ったつもりである。匂いを撮れれば良かったのだが、それができないので、「暗さ」だけを撮った。そしてやがて何が起こるかは、この名句で。

「暗さ匂へば螢」

そう、蛍の匂いがして、やがて螢が現れる。その出現前に匂う蛍の匂いは、メスのフェロモンの匂いだそうだが、「螢」と言う香水もあると聞く。シトラスとマリーンとウッディが香りのタイプだが、その名は、蛍の光を表現したいからで、匂いではないようだ。もしも、匂いに似せるなら、爽やかとは言い難い。生家の周りには、いたる所に螢がいて、いた時代で、幼い思い出にしっかり匂い付けをしてくれている。どんな匂いか表現しろと言われても、ただ決して心地よいとは言えない匂いだとしか言えない。京都の四条通の天神川を超えて松尾に向かうと匂う。工場からの化学物質の匂いだ。

「暗さ匂へば螢」は、漂泊の詩人種田山頭火の作品で、恐らく世界で最も短い芸術と言える。この句について、金子兜太氏は、「ぬかるみをゆくものに、生ぐさく青くさい暗がりがつづく。一抹の点(あか)りは、さらに生ぐさくー」と続ける。その前に「逢うて戻ればぬかるみ」と言う句もあるから、金子氏の言葉が正しいのだろうが、「うしろすがたのしぐれてゆくか 鉄鉢の中への霰(あられ)」と読むと、頽廃と自虐の闇の中で、一点の灯りを求めていたのかもしれないとも思える。その匂いが女性のフェロモンであれば、闇の中で女性に鬱屈し閉じ込められた情欲を一瞬の光にでもできれば、と願っていたのかもしれない。

他に「まっすぐな道でさみしい」とは、一途の求道のことだったのだろうし、「鉄鉢の中への霰」にしても、自ら霰が刑罰の具である笞(しもと)と言って、全身全心を打ったというから、これは自戒の句だろう。門付で鉄鉢を捧げて、布施を受けようとしていたら、思いがけなく霰が落ちてきて、カチッと言う金属音を聞いたという。その句を詠んだ時の気持ちと句を自らが解説してはいるが、それでも、鉄鉢に霰が落ちてきて、そこで、求道者の新たな展開になりえなかったのかと思ってしまう。

種田山頭火の句は、だらだらと無駄に長文を書いてしまう私を撃つ。しかし、彼の生き方、彼の考え方、いつも流にいえば意識の枠組みは辛い。

「暗さ匂へば螢」でなくて、「蛍が光らない闇の世界」について書こうと思ったが、どんどん離れてしまった。

さて、風評にこそ真実とばかりに風評を煽る。
そのひとつが蛍で、「放射能汚染が進むと、ホタルは光らなくなるという学説だ。阿部氏の実験では、0.5μSv/h以上でホタルの一部に異変が生じた」と言う。

もうひとつの闇は、この阿部氏の実験結果の公表を文部省から止められたという。そして「昨年の震災以降、放射能の危険性を示唆する研究の自粛要請が文部科学省からあったと指導教授から聞いた」ということ。

どちらもおおいにありそうなことで、詳しくは以下で。
『放射能汚染とホタルの関係、真相公表はタブーか』

蛍の飛ばない闇の世界を作らないためにも、風評を煽る。どこをどう調べてもそちらの方に真実があるように思えるから。

連載は明日から再開。雨のない梅雨に蛍が飛び交う世界を夢見たから。

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