連休明けにもアップされる電子書籍『火の奪還』のために書いたレビューである。

それが核武装のための準備でしかないというのは原発推進者の常識で、安全安心な電力、経費削減、環境に優しい、経済活性化のためなどは無知な人々の常識で、原子力発電所が次第に転移する悪性腫瘍のように命を脅かしているのは、いかに無知で、支配者走狗を恥じない人にも明白なことである。人類の最悪の発明品原子爆弾が開発されたのは1940年代、そして日本で最初に原子力発電が行われたのが1963年。同じ頃、少なくとも縄文時代から数えても16000年前から人類の暮らしの中心であった自然の「火」を、いかにも文明が発達し、それが文化的生活のように思わせられて、事も無げに捨てさされた。自然の火が暮らしから無くなって、私たちの心からも火が与えてくれたような熱い心もときめきも安らぎも無くなってしまったのではないか、そう思った人々が、暮らしに火を奪還することで、暮らしはもちろん生き方がどう変わるのか、それを綴った実験的な作品である。

火の奪還『火の奪還』明窓出版 表紙・森田佳行氏

『火の奪還』の拙著をご笑覧いただければ幸いだが、以下の引用のように原発が核兵器の準備であり、そのためには日本国憲法が邪魔なのである。それは推進派の常識である。

原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意志の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核兵器禁止問題などについて国際の場における発言力を強める。『岸信介回想録』

日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に(原発を)放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない。
『石破茂自民党政調会長』

日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ」。だから「高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきではない。『読売新聞』 2011年9月7日「展望なき『脱原発』と決別を」と題する社説

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