たんぽぽ「何だその写真は?」と言う声も無く、あっても聞く耳をもたないかもしれないが、単に野原の写真である。黄砂も微小粒子状物質「PM2.5」も飛ばない珍しい春の青空の下で寝転んで、すぐ目の前にあった光景に写メをしたまでで、申し訳ない気持ちでアップしたと言うことだ。

何が申し訳ないと言って、黄砂は古代からやってきていたものだから仕方ないとしても、経済狂というか銭儲け以外何も見えない人間が微小粒子状物質「PM2.5」を撒き散らかしていることが申し訳ないと思ったからだ。我々はその飛来の激しい日は、外出を控えたり、窓を閉めたり、止むを得ない外出はマスクをしたりする。

「無防備だから美しい」とは、ジッドウ・クリシュナムルティの言葉だが、無防備なことをいいことにやりたい放題をやっている人間が申し訳ないと思った。そして、人間に学習能力や想像力が無くなってしまったことを悲しく思う。惑星で好き放題にやっていて、絶滅危惧種は他でもない人間に違いない。

というのも、一方で微小粒子状物質「PM2.5」や環境汚染物質どころか人間絶滅物質をばらまき放題で、一方で、水俣病の裁判が続いている。「水俣病認定を緩和 最高裁『一症状でも』、患者審査見直し迫る 熊本の遺族、勝訴確定」とは今朝(2013年04月17日)の『朝日新聞』の記事であるが、水俣病は1956年に熊本県水俣市で発生したからそう呼ばれるが、それから半世紀はとっくに過ぎた。

いかに言論統制をしているとはいえ、支配者連中は、その種の日本の失態は見聞きしているはずである。それとも権力闘争に明け暮れて視野に入らないのだろうか。いずれにしても、金儲けでやりたい放題をすればどんな悲惨が待ち受けているか、日本がいい見本ではなかったのか。それから学習することも、想像力を働かせることもないのだろうか。

いやいやお隣の国だけではない。半世紀前の公害の原点と言われる事件から半世紀、人間から学習能力も想像力も無くなってしまった証拠が、原発への執着である。1979年のスマイリー島から35年、1986年のチェルノブイリから28年。この月日にもかかわらず人間の学習能力も想像力も発揮できなかった。垂れ流しの汚染水、廃炉は40年、いずれも最も操作されての情報で、事態はもっともっと深刻で残酷に違いない。

1956年と言えば、イギリスで世界初の原子力発電所を建設。日本では原子力委員会が設置された。公害の原点と言われる年に、公害の集大成と言うか最高峰と言うか、褒め言葉ではないが、それ以上の公害はあり得ないと言う意味では、最高の最低である。
今こそ、人間の学習能力と想像力が問われている。すみませんたんぽぽさん。

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