にゃんこのご挨拶
にゃんこのご挨拶前期高齢者の引きこもりと言いながら、それでも懸命に書いていると言うか、筆写している。前回の連載には予想以上の方々にアクセスしていただいていた。連載終了と共にアクセス数が一挙に減ったことからすれば、読んでいただいていたと勝手に理解している。

前回連載の『火の奪還』はやがて明窓出版様他で電子書籍で販売される。

その後『合わせ鏡』『笑って死ぬマニュアル』と書き続けてきた。やがて電子書籍にはしていただけるようだが、読んでみたいと言う方で、データで了承していただける方は、問い合わせフォームからお知らせください。

さて今回の『タルチョー』は300枚近くになっているのだが、今後の展開も見えていないし、どのように終わるかの予想もない。危険度は前回と変わらない。

それでも冬籠りでもせっせと書いているアリバイ証明に連載を開始してみる。
 
1.一回目の連載のまえがきを抜粋、修正部分
連載=ないないづくしで突然始まってしまった。

新聞連載小説と言うものがある。あまり読んだことが無い。Career Gardenと言うホームページの『小説家の仕事』と言う項目に、『新聞連載の小説家に必要な条件』が書かれている。

「どのよう小説家が新聞の連載小説の依頼が来るのか」と言う条件に、私はことごとく反している。「もちろん売れている。人気がある。と言う一定評価も大事ですが、それは重要なポイントではありません」とあるから、売れてもいないし、人気などあるはずがない小説家としては、ひとまず安心。売れてなくても、人気が無くても新聞連載小説は書ける。では・・・

「重要なポイントは以下です」として、

 1.長編小説を書くことができる
 2.社会的視点から見ても優れた小説であり、偏った批判などをしない作品
 3.万人が読んで共通して面白い、いい小説、続きを読みたくなると思わせる作品

だそうだ。完全に条件を満たすのは、長編小説の部分だけだが、それもわからない。偏った批判などをしないのは到底無理で、どちらかと言えば、世間が認めている一切に批判するかもしれない。

となると新聞連載小説などまるで無理だが、伝達メディアでも違う種類のネットのブログで連載すればどうなるのだろうか。しかも書き手は、ないないづくしの小説家の書くものだが。

ないないづくしは、売れない、知られていない、人気があるかどうか知らないと言うような書き手の状況だけでなく、書き物もないないづくしである。

  1. 何のテーマで始まってしまったか知らない=テーマがない。
  2. 前もって構成があったり、全体的な見通しがあるわけではない。
  3. それどころか今日書いたものが明日どう展開するのか書き手は知らない。

そんなないないづくしの中で、300枚ほど書きあがった分だけをブログで連載しようと言う試みである。そんなもの読めるか、とおっしゃる方は、今後のブログの連載と書かれている記事は飛ばしてほしい。

全托放任自然農法に似て、全托自動筆写とでも呼ぶべき書き方で書いていて、責任は筆者個人では取れない。何をどうさせていただくのか、生きさせていただいている人間にはわからない。降ってくる情報の単なる憑代(よりしろ)だと思ってもらいたい。

2.今回の弁解

今回も何も企てていないにもかかわらず、筆者でも「エ?」と思うようなことを書いてしまった。特に一章は、映画のシーンのようにカメラの焦点が変われば主人公となって一人称で語る。こんがらがるのは当然だが、全て「ひとつ」であることを描写するには乱暴だと、筆者でさえ思う。かといって二章も一緒かと言うと、これも違う方法で、単なるサスペンスのように指示表出の言語で矛盾なく書いているのとは違う。

そんな無責任な書き手からのお願いは一つ。縦書きにして読んでもらいたい、ということです。

では、連載第一回を次のブログで。

『合わせ鏡』『笑って死ぬマニュアル』は問い合わせフォームに一報を。データで送ります。

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