今年2012年早春に40数年やってきた放送の原稿を書く仕事を止めた。そのために時間もできて、2011年の3月11日以降、書かねばならないと言う強迫観念に似たものに煽られて書きまくった。心臓冠動脈バイパス手術前後の数日を除いて、書きに書いた。おかげで、『京都消滅』『万華鏡』『海人無私全托草書』『おはようございます雀さん』『縁』上・中・下、『火の奪還』『合わせ鏡』と3540枚を書き、目下新しい作品が240枚になった。

夜明け前からは書き物をし、4、5時間の執筆(筆写)で一定のテンションが落ちてきて止め、昼間は畑作業と庭の手入れで、慣れない肉体労働を、近所の人が目を見張るほどやった。

そのために放送の仕事を止めて以降前期高齢者の「ひきこもり」だと言っていたが、初秋から体調に異変が現れ、気候の激変もあって、十月から十二月初めまでまるで病院通いで過ごさねばならなかった。週三日の透析があるから、日曜日を除く毎日と言えるほどだった。

先般書いたように、検査にひっかかるような問題は無かったのだが、おそらく加齢と過労と過酷な季節変動が原因だと思われる。左肩、上腕部の激痛が右上腕部に移り、右足が歩けないほど痛くなって、「ひきこもり」が冗談でなくなった。

そしてここしばしブログが滞るほど手の痛みに苦しんできた。誰にも会わず、ほとんど病院以外に外出もせず、あっちもこっちも不義理を重ねてきた。頭が病気な上に体も駄目なら仕方がない、そう思って許していただきたい。

今年中に完成したい作品も「死」について書けずに滞っている。とはいえ、こんな体調と創作状況の悪さでも社会よりはましだ、そう勝手に思っているが、そう思わざるをえないことだらけだ。滞っていたり進まないのならまだしも、社会は後戻りを始めている。原発と言う時代遅れの似非科学装置を止めようと言う動きもはぐらかされ、悪の権化として戦後を荒廃させてきた自民党以外は、空中分解してしまっている。

労働組合を母体にしている党が、自民党より駄目なのは、日本の労働組合のだらしなさそのままで、今さら言うまでもない。中央で戦争責任を清算するどころか、戦犯やそれに追従する走狗が権力をほしいままにしていた政府はもちろん、総括や内ゲバになってしまった跳ね上がり連中の運動と、御用組合でしかなくて政治に一つとして刺激さえ与えられなかった労働組合など、戦後の社会の動きを真摯に見詰めてきたものには、労働組合を母体にした民主党は、当初からばればれのていたらくではある。

一時と違って書く量と読む量を比較すれば、書く量が圧倒的に多くて、読書は少なくなっていたが、手の痛みの間に、書架から『無(プラズマ)の造型』谷川雁を取り出して読み直している。

この本を読みながら世情を眺めると、一切が退化しているとしか思えない。そして「火」を組織することの実に苦手な日本列島住民の意識の構造が苦々しく確認できる。やっぱり日本列島原住民は駆逐されて、日本列島は大陸から来た渡来人の末裔でしかないのか、そうしみじみ思える。

「風化」と言う言葉がある。「地表及びその近くの岩石が、空気・水などの物理的・化学的作用で次第にくずれさること。比喩的に、心にきざまれたものが弱くなっていくこと」とあるが、日本列島の原住民でなく、現住民は、「風化」が意識の大きな性格なのだろう。戦争体験を風化させ、災害を風化させ、目先の金に暗まされ、個人的には貧乏体験を風化させて、身の回りを不用な虚飾でかざりまくり、生きる最低限の衣食住さえあれば、と言う過去の切実で悲しい願いをすっかり風化させる。

そんな「風化」民族の「風化癖」を治してやろうと思われたのか、神は人間の日常感覚の範囲の時間や空間の中では決して風化しない放射能物質をあふれさせたのかもしれない。しかし、この大爆発でさえ「風化」させる。

一年間「吠え」まくってきた。不快な気持ちを与えたとすればお詫びする。しかし、少なくない人が読んでいて下さったが、その人たちは「風化」民族でないと信じている。空間を区切りとした「道州制」で高い自治権を獲得するより、日本列島現住民より、日本列島原住民の意識で独立を獲得したい、そう願っている。

2011年3月11日の原発以外の災害は、人々に「絆」と言う言葉を作らせたように日本列島原住民の、いや真の人間の大法則の相互扶助の意識を呼び戻してくれた。ネットが空間に阻まれないように、意識の独立は空間にも物質にも阻まれない。そんな意識の独立で、「風化」させて懐を太らせることに躍起な現住民から日本列島を奪い返そう。

体調の悪さが声を荒げた叫びになり、2012年最後のブログにする。感謝感謝感謝。

どうぞ素晴らしいお年をお迎えください。ありがとうございました。お互いに必死で頑張りましょう。合掌 伊吹龍彦

寝ながらで不謹慎ではありますが~寝ながらで不謹慎ではありますが~

先輩のお姉ちゃんが『吾輩も猫である』で表紙デビューしましたが、私は『京都に絶望して』で登場する菫です。伊吹が書けないこともあって、しばしひなたぼっこなどしてくれるので、私、そばでよく寝ております。挨拶をしろと起こされて、恍惚のままでご挨拶をいたしました。来年も伊吹をよろしゅうにお願いします。

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