例えが悪いし、下品で汚いが、京都大学助教授小出裕章先生の褌で、自らの土俵で相撲をとらせてもらう。

と言うのも、ここ数十年、そして3月11日以降、さらに集中的に書いていることは日本人の意識の問題であり、これが日本列島特有のものだとは思えない、とくどいほど主張してきて、日本文化の首都のように言われる京都の文化の反日本列島的ありようを『京都に絶望して』に書き、その日本列島意識の変貌がいつから始まったのかを、とうとうムー大陸まで遡って、縄文あたりから始めた『縁(えにし)』上・中・下三巻でやってしまった。

その内容は、以下の小出先生のインタビューの中に出てくる「日本人の志向」である。

インタビューは12月20日のモーニング・バードで、いずれ奇特な方が全文を紹介してくれるだろうが、幾つか記憶だけで書けば・・・敢えて重複をしても。

「原発と戦争はそっくり」

「日本人の中に目先のことしか考えられない志向がある」

「ドイツはナチスを清算したが日本は戦争を反省してない」

「戦争についての総括とでも言うんでしょうか、何を歴史から学んだか、という意味でも、ドイツは、徹底的にナチスというものの歴史を自分たちで考え直して、それを清算しようとして、戦後生きてきたんだと思いますが、日本は、かつての戦争について、本当に反省したのかといえば、私から見れば全然していない。戦争が終わってしまって、多くの日本人は自分たちはだまされた、ときっと思ったのだと思いますが、だまされたというなら、なぜだまされたのかを、きちっと自分に問わなければいけないけれど、それを問わなかったんですね。もっと素敵な米国が来てくれた、もっといい日本になる、ただこういう国民だった」

「原発と戦争はそっくりだと思う。大きな流れができると、違うと思っていても大抵の人は声を出さず流れに乗っかってしまう。その点日本はドイツとは全然違う。ドイツはナチスについて徹底的に向き合って歴史に学び、今がある。日本は『騙された』と言うだけ。まったく学んでいない」

その通りと思う方も、そんなことはない、と思う方も、年末年始の慌ただしい中で、敢えて拙著を紐解かれたい。伊吹龍彦で、『京都に絶望して』と、そして『縁』で検索していただければ、電子書籍でご覧いただける。明窓出版、電子書籍で入っていただくと、立ち読みでご笑覧いただける。

もちろん偉そうに説教を垂れるつもりでなく、小出先生のおっしゃることを常日頃感じていて、自戒のつもりで書いた。いや、全くノンストップで書かされた。自分でテーマ設定と構想と筋立てや登場人物の設定をして書いたのであれば、小出先生の褌を借りて拙著をご紹介することは傲慢のそしりを免れない。でも、伊吹龍彦は日常生きている人物でなく、ただただ憑代として書き続けた必殺筆写人としか思えないから、お勧めする。え?必殺?チャチャチャーン♪♪

京都に絶望して

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